2008年08月のコラム

●24時間テレビを見て。
●24時間テレビを見ていて。
◆今回はやはりこの話題でしょうね。
 本当に様々な病気・障害と闘われている方たちが、たくさんいらっしゃる事を、
 このような番組で思い出させてもらいます。
 今年も、心に響くいろんなエピソードが紹介されていましたが、
 あの笑顔に到るまでの涙や、今後繰り返される様々な感情の波を思うと、
 言葉がどうしてもみつかりません。
 等しくない条件の中で、同じ時をなにげなく過ごしている事を、
 改めて実感してしまいます。
(2008.08.31)

●黒猫チャチャとの思い出。(続編6)
●黒い子猫と出会ってから数日後の夜。
 確か、午前12時を過ぎていた頃だったと思うのですが、
 普通に睡眠をとるため、横になってうとうとしていた所、
 暗い部屋のどこかで、何かが聞こえたんです。
 何だろうと思い、聞き耳をたててみると、
 かなり近いところから、子猫の鳴き声が聞こえてくるんです。

 自分の部屋は2階だったのですが、どこから聞こえるのか気になり、
 電気を消したままで起き上がり、窓の外を覗いて見た所、
 2階の部屋の中を覗くように、子猫が網戸越しに頭を出し、
 可愛らしい声で呼んでいるんです。
 いやぁ〜、ビックリしましたね。
 この数日の間に、木を上って1階の屋根の上に来てしまうとは。

 子猫が上って来た木というのが、勝手口の前にある木で、
 数日前に誰かに捨てられ、放置されていた木なんですよね。
 そして唯一、1階の屋根に接している木だったんですけど、
 この子猫が木に上って遊ぶ姿など、それまで見た事がなかったもので、
 おそらく、初めて上ってみたんじゃないでしょうかね。

 捨てられていた数日前には、塀の高さにある枝から下りるにしても、
 なかなか下りれずにいた子猫が、よう上る気になったなと思いましたよ。
 やっとこどっこいズリ落ちるような感じで、苦労して下りていた様子を聞いていたもので、
 上って来た木を下りる事がこの時点での子猫には、絶対に無理だろうと思い、
 そのまま放置する事が出来ない状況になったんです。

 さらには、可愛らしい声で呼ぶ子猫の姿を見てしまったもので、
 自然と網戸を開け、抱きかかえる事に。
 結果、その夜は、見事に睡眠不足になっちゃったんですけどね。
 この夜の様子については、次の機会に紹介したいと思っています。

 季節は秋となりますが、黒猫チャチャとの思い出の内容については、
 思い出せる限り、少しづつ順に書いていくつもりなので、
 冬になっても季節感なく、夏の頃の話になると思います。
(2008.08.29)

●黒猫チャチャとの思い出。(続編5)
●バカタレ猫とのご対面。
 子猫を脅かす猫が現れた事を耳にし、そこでどんな猫か詳しく聞いたんです。
 色に関しては、あえて曖昧にしておきますが、明るい感じの色で、
 首輪をしており、尻尾は短く、スマートではない牡猫だったそうです。
 その後どこの家出飼われている猫かも判り、ビックリする事になったんです。

 結局本当の名前は知らないままだったのですが、とにかく腹立たしい猫だったもので、
 直接的ではなく、爽やかにひにくった、それなりの呼び名で表現したいのですが、
 しっくりくる呼び名がなかなか思いつかないもので、お上品ではないですが、
 今後も、この子猫を脅かす牡猫の事を、バカタレ猫と呼ぼうと思っています。

 次の日の朝、朝食を取りに台所へ行った際に、
 先ずは、子猫が食事をすませたのかを聞いた所、
 食事はたった今、器に入れたばかりだという事を聞いたんです。

 子猫が食べてしまうまで見ておかないとまた例の猫が来るかもしれないと思い、
 「誰も見てないっちゃろう・見とかんで大丈夫とね」と聞くと、
 「来るかねぇ〜・こっちも忙しいから、ちょっと見てやっとってぇ〜」
 そんな感じで、子猫が食べ始めてからあまり時間は経ってなかったと思いますが、
 勝手口に行って覗いて見たんです。

 すると腹立たしい事に、すでにバカタレ猫のお食事タイムとなっていたんです。
 子猫の方は、前日聞いていたような感じで、怯えて縮こまっている状況。
 思わずお上品ではない怒鳴り声が出て、勝手口の網戸を激しく開けたと頃、
 バカタレ猫は、慌てた様子でその場から逃げ出したもので、それを追って自分も外へ。
 勝手口にはサンダルがもう一足あったもので、自然と手にしての追走。

 敷地を隔てるブロック塀の上で余裕をかますバカタレ猫。
 自然の流れで、手にしているサンダルを、そこに向け全力投球。
 見事、悪送球でバカタレ猫は逃げてしまう事に。
 間違いなく、前日聞いていた特徴の猫だったようです。

 少々興奮した感じで、独り言でも言いながらサンダルを拾い、勝手口に戻った後は、
 前日とほぼ同様の子猫のお食事風景が、目の前で繰り返される事になったんです。
 その後、勝手口での食事というのは、数回だけだったのですが、
 子猫の食べ始めから終わりまでを、家族の誰かが目の前で見ていましたね。

 そして、子猫を脅かすこのバカタレ猫の頭の悪さには、
 ほとほと呆れてしまうような出来事が、その後何度もあったもので、
 その出来事についても、何れ紹介していきたいと思っています。
(2008.08.27)

●黒猫チャチャとの思い出。(続編4)
◆2008年7月後半頃、フレッシュルームコラムに掲載した内容の続きになります。
●子猫を脅かすバカタレ猫の出現。
 翌日の朝、親に子猫がどうだったか話を聞いたんです。
 親によれば、目が覚める度に寝たままの状態で、濡縁に置いた箱を網戸越しに見ていたとの事。
 一先ず、子猫の方は箱の中で、おちついた感じで寝ていたらしいですが、
 なかなか眠ってくれなかったもので、寝不足になってしまったような話を、
 たっぷりと聞かされる事になりましたけどね。

 そして、朝食の準備が終わり、勝手口に子猫を呼んでのお食事タイム。
 初日以降は、何を食べさせたのか、ほとんど記憶に残っていませんが、
 暫くしてからですが、特に好んで食べる物の存在に気がついたもので、
 好物に関しては、何れ紹介したいと思います。

 勝手口に食事を置き、食べ始めの方だけ見て部屋に戻っていたんですが、
 その日の夕食だったか、次の日だったか、定かではないんですが、
 親が大声を出して、騒いでいたんです。
 理由を聞くと、子猫が食べている様子を見ようとして、勝手口に行って見たら、
 大人の猫が、子猫の食事を横取りしていたらしくて、
 勝手口に親が姿を見せたとたんに逃げたとの事。

 子猫の方は、勝手口前にあるボイラースペースの 隅で、
 怯えた様子で、縮こまっていたらしく、大人の猫が姿を消した後、
 恐る恐るボイラーのスペースから出てきた事を聞きました。
 そして、ほとんどカラになった器の中を、何度も何度も覗きこんでいたらしいのです。

 子猫がどれだけ食べたのか判らないもので、器にもう一度食べ物を入れ
 目の前に自分がしゃがみ、一先ず様子を見る事にしたんです。
 お腹がいっぱいなら食べないだろうと見ていた所、
 周囲を気にしつつ、初日の朝同様に「ホワンホワン」声をだしながら、
 食べはじめたんです。

 「怖かったねぇ〜・よしよし」
 「泣きながら食べんちゃさぁ〜・そげん怖かったね」
 「気にせんでいいって・誰もとらんって・大丈夫って」
 などと話かけながら、子猫の食事を見ていたんですが、
 ぺろっと、全部食べてしまいました。

 どうやらほとんど、例のバカタレ猫に食べられていたようですね。
 この子猫を脅かすバカタレ猫については、
 次回の内容の中で紹介したいと思います。

★このバカタレ猫を思い出している時、耳にした8月25日のニュース。
 3人のお子さんが亡くなってしまった、飲酒運転者による追突事故。
 全国的に飲酒運転は減ってきたとはいえ、未だニュースで耳にする【バカタレども】、

◆たまたま捕まっていないだけの【バカタレども】へ一言。
・仕事帰りであるなら、
 →キーが手元になければ酒をのんでも運転しようがないはず。
・家で酒を飲んで運転する【バカタレども】
→死傷者をだす交通事故でも起こそうものなら、その後の人生ないと思え。
→事故を起こさずとも、その油断が、安定した人生を必ず奪うぞ。

(一部の危険因子たちへ)
 最低限のルールを守れば誰もが楽しくお酒を飲めるはず。
 とにかく楽しいお酒となるよう願うばかりです。
(2008.08.26)

●少しだけかじった競泳。(続編1)
◆数日間、インターネットに接続ができない状況になっちゃいました。
 インターネットが混線しているからだと思い、何れ接続できるだろうと、呑気にかまえていたんですが、
 あまりに接続できないもので、カスタマーセンターに連絡してみたところ、
 どうやら、モデムの不具合が原因だったようです。
 安定したインターネット接続が、困難な状況だったので、
 メールの確認や、フレッシュルームコラムの掲載が、暫くできない状況になっていましたが、
 ようやくモデムの交換ができたので、インターネット接続が可能となりました。

●少しだけかじった競泳。(続編1)
 自身が通う事になった中学というのは、全生徒が部活に参加しなければならず、
 運動系か文化系の中から、自身に合った部活を1つ選ぶ事になっていたんです。
 入学してからまもなくの事、講堂で部活の紹介があり、
 そして自身が選んだのが水泳部だったわけなんです。
 水泳部というのが、1年前にできたばかりらしく、部活の先輩というのが2年生だけで
 他の部活に比べれば、少人数でしたね。

 先輩の中には、小学生の頃からスイミングクラブに行っていた人が数人いたようでしたが、
 自分たち新入部員というのは、競泳などとは無縁に近い者ばかりで、
 小学校の水泳の授業でちょっと早く泳げた者が何人かいたぐらいの
 ようは、競泳ど素人の集まりだったわけなんです。
 そして、今でも初日の練習というものは、とても印象的です。
 25メートル→50本、合計1250メートル

 余談ですが、後々になればなんなくこなせるメニューの1つだったんです。
 朝練は別として、放課後の練習でトータルで最高7キロぐらい泳ぐ時に、
 最後のメニューとして泳いでいたようなものですから。
 当時の中学生でも、トップスイマーの練習になれば、
 さらに長い距離を練習していたらしいですよ。

 練習の初日に先生から聞いた時には心の声として、
 「えぇ〜まじでぇ〜」だったですよ。
 小学校の頃までは、海での遠泳の経験などもなく、ただ海やプールに浸かって遊ぶだけで、
 泳いでもプールで、25メートルや50メートルをほんの数本ぐらいだったんですから。

 いよいよ水泳部として始めての練習が開始される事に。
 練習する学校のプールというのが、25メートルの7コースで、
 1つのコースに、おおよそ4人ぐらいに振り分けられ、泳ぎの早い順にグループが組まれました。
 各コースから、そのグループの人が一所にスタートをするといった感じで練習を行うんです。

 新入部員は専門の種目というのが決まっていないので、全員がクロールで泳ぐ事になったんですが、
 練習が始まり本数が増えていくにつれ、新入部員の中からリタイアする者がでてきました。
 聞こえてくる理由というのが、ほとんど腹痛だったですね。
 プールサイドに寝転がる同級生を横目に、正直羨ましくなってきたんですが、
 まったく自分には腹痛が起きる気配すらないもので、自然と泳ぎ続ける事に。

 暫くすると、新入部員では、自分1人だけが泳いでいる事に気がついたもので、
 腹痛はないけれど自分もリタイアしようかなと、理由でも考えていた所、
 同じコースの先輩が「もうちょっと、後ちょっと、頑張れ」などと
 声をかけ続けてくれるもので、リタイアしづらくなっちゃったんです。
 結局の所、最後まで泳ぐ事となったんですけどね。

 そして自分の実力というものを過大評価していただく結果となり、
 とんでもない種目を仰せつかる事になったんです。
 その種目というのが、1500メートル自由形と400メートル自由形の担当。
 他の種目だったら400メートル個人メドレー以外は100メートルや200メートルですむのに、
 部活でのタイム取りや、試合のたびに1500メートルや400メートルなんです。
 いらんこと頑張りすぎちゃいました。

 1年後の後日談として、ちょっとだけふれますと、
 その当時は、1年に1回だけ、他の種目の担当にられる機会があったもので、
 2年生となった時に、試合で100メートルや200メートルですむ種目の担当になろうと頑張ってみたんです。
 同学年の中で競った結果、どうにかこうにかバタフライだけが1番になれたもので、
 ようやく1500メートル自由形などからおさらばする事ができました。
 2年生以降は、バタフライを専門として泳ぐ事になったんですが、
 種目が変わったからといって、練習がきつい事には変わりなかったんですけどね。

 バタフライが専門種目になり、最初の頃だったと思うんですけど、
 確か、ドルフィンキックを練習している時じゃなかったでしょうか、
 泳ぎながらの腹痛というものを味わう事になったのは。
 そして、自分のオヘソが、デベソじゃないかと思っていたぐらい引き締まっていた
 あの頃の体というのが、今では、とても懐かしいですね。

◆少しだけかじった競泳の内容の続きの掲載については、
 来年夏頃の時期の紹介になるかもしれません。
(2008.08.24)

●少しだけかじった競泳。
◆オリンピックの競泳に関連して自身の競泳体験でも紹介しようと思っていたら、
 いつのまにやら競泳全種目が終了しちゃったみたいですね。
 飛び込み競技の方はこれからみたいでしたね。

◆自身が競泳の大会で初めて体験した小話です。
 大会としては、先ず市・郡大会、勝ち進めば順に地区大会、県大会、九州大会、全国大会とあり、
 結局の所、自力では地区大会レベルだったんですが、人の力をかりて、メドレーリレーで
 県大会に参加させてもらいましたね。
 この時の話は、中学1年か2年の頃の夏の大会だったと思います。
 試合会場が50メータープールだったので、地区大会か県大会の時だったですね。

 それぞれの学校が、応援する場所と休憩する場所の2ヶ所を確保するんです。
 応援するばしょとしてスタンド、そして休憩する場所として
 広めにとってある通路の一部を利用していましたね。
 自分たち水泳部の関係者なども自然と同じ場所を利用されていたと思います。
 水泳部男子は、この確保した休憩スペースを利用して、
 バスタオルを腰にまいて着替えていたんです。

 先輩の試合時間が近づいてきたようで、練習用の水着から、
 自分たち水泳部の試合用として揃えた同じデザインの水着に
 着替えていたようなんです。
 同学年の人からは、Yちゃんと呼ばれていた先輩の着替えがどうやら終わったようで、
 バスタオルをはずし、自身のほっぺたを軽く手のひらで叩き
 気合を入れ、そして腰に手をやり深く息をはいていたんです。

 自分たちからすれば見慣れた光景なので、特別意識していなかったんですが、
 K先輩が大声で一言。
 「Yちゃん、はみきん」
 当然ですが、そのフロワーにいた人たちの視線が
 Y先輩へ注がれる事に。

 周囲の人は、遠慮などなく大爆笑。
 一瞬ですが、はみ出した状態で腰に手をやり気合を入れ
 仁王立ちになっているY先輩の姿を見てしまったもので、
 その状態からはみ出した片方の【おいなりさん】を慌てた様子で隠す
 Y先輩の姿がとても印象的でしたね。

 そしてY先輩が恥ずかしそうに、手遅れの一言。
 「そういう事は、こっそり言ってよ」

 その後のY先輩の試合がどうなったのか、興味がある人もいると思いますが、
 まったくもって、試合の結果は憶えていません。
 しかしながら、自分にとってあの姿というのは、
 試合前の良いリラックス法になりましたけどね。
(2008.08.18)

●お盆休みもそろそろ終わりでしょうかね。
●お盆時期に行われていた花火大会の思い出。
 20代前半の頃だったと思います。
 15日昼頃に県外にある里から、当時住んでいた自宅へ帰って来たんです。
 その地域でも15日夜にお祭りと花火大会が行われていたもので、
 遊び仲間に電話をしたところ、里帰りしている者や旅行中の者ばかりで、
 一所に花火大会に行けそうな者がつかまらなかったんです。

 そこで不意に思いついたのが、自宅2階の屋根から花火を見る事。
 1人で見に行くのもなんですし、1度はやってみたかったんですよ。
 2階の部屋から見るにしても、以前友人と見た事があったんですが、
 目の前に中学校があり、花火が少しだけ欠けて見える微妙な位置関係で、
 見るにはちょっと邪魔だったんです。

 夜になり、花火の開始時間が近づいてきました。
 ティーシャツにタンパンという姿、そして1階にあるサンダルを2階に持って上がり、
 ビールとつまみをウエストポーチにつめ、いざ2階の屋根へ上がる事に。

 先ず、2階の部屋の窓から出て、1回の屋根へ。
 次いで窓の庇に上がり、それから2階の屋根へ。
 庇よりも2階の屋根の方が出ているもので、少し緊張しながらも、
 体を反らし、2階の屋根をつかみ、無事に上がる事に成功。

 一先ず満足したのですが、考えが足りなかった事に気がついたんです。
 それは、手が汚れている事。
 缶ビールは汚れた手でもあけられたのですが、
 そのままつまみを手にして食べる事に抵抗があり、
 結局の所、ビールだけを飲む事にしたんです。

 時間となり、花火が上がり始めたのですが、ある意味でビックリ。
 2階の部屋から見える花火と、そんなに変わらなかったんです。
 確か最初のうちは、ぶつぶつと独り言でもこぼしながら見ていたように思いますが、
 とにかく、屋根に上がっての花火観賞というものを、その時初体験しました。
 そして、いつのまにやら蚊にも献血され花火大会が終わる事に。

 さっさと部屋に戻らないと、見物客が家の前の道を通ると思い、
 屋根に上がった場所から急いで下りる事にしました。
 2階の屋根に上半身をしっかり残した状態で、屋根の端に手を置き、
 下半身をゆっくりと2階の屋根の外に垂らし、庇を足先で探る事に。
 簡単に下りれる予定だったのが、なかなか足先に触れないんです。
 頭では、屋根の方が庇よりも出ているという事を理解していたんですが、
 どんなに足を動かしても、まったく庇を触れられないんです。

 暗いうえに屋根は瓦だし、それなりの高さと傾斜があり、
 飛び降りるには、危険だと判断していたもので、
 2階の屋根から下りたくても、下りれない状況になってしまったんです。
 時間が経つにつれ、精神的にはあせり出し、肉体的には疲れてしまい、
 なぜ2階の屋根なんかに上がってしまったんだと、ひたすら後悔。
 すると遠くの方から、家族連れの楽しそうな声が聞こえてきたんです。
 非常にまずい状況になってきました。

 かなり疲れもあったし、このままでは下りれないと思い、
 庇の位置を確認するため、一旦下半身を2階の屋根へ戻しました。
 屋根の端から、頭を出して覗いて見ると、下りようとする位置に、
 ちゃんと庇はあるんです。
 下りる位置に関しては、間違いない事を確認したもので、
 急ぎ、再度チャレンジする事に。

 しかし、不思議と足先に庇を触れられないんです。
 もたもたしているうちに、家族連れの声がどんどん近づいてきました。
 さらには、様々なグループの声が聞こえ出し、次々と近づいて来ているようなんです。
 飛び下りる事ができないもので、どんなにあせっても下りれない状況のまま
 見られる前に、必ず下りられるという事を信じて、一生懸命の足掻きを続けていました。

 結局の所、2階の屋根にしがみつき、足だけがもがいているような、
 非常になさけない姿を数グループの人にご披露してしまう事に。
 あの笑い声が、それぞれのグループ内での会話によるものなのか、
 しっかり見られた上で、夏の良い思い出として笑われていたのかは、
 わかりませんけど、なかなか見れない光景だったと思いますよ。

 そして、数グループが通り過ぎた後、ようやく足先に庇を触れ、
 なんとか無事に1階の屋根へ。
 疲労と共に腕は筋肉痛になるし、蚊には献血されほうだいとなり、
 くだらん思いつきからとんでもない思いをする結果となりました。
(2008.08.17)

●コオロギが鳴き出したようですね。
◆暑い暑いと言っている人、もしかしたら、一部の人には涼しくなれるかもしれませんね。
 数日前に気づいたのですが、自身の耳に心地良く聞こえるコオロギの鳴き声。
 少しづつなんですけど、季節の移り変わりを感じますね。

 前回、アパートに住んでいた頃の話をしたんですが、その頃の夏の思い出に、
 一部の限られた人にだけですが、背筋に涼しい風を感じられそうな
 小学生の頃のちょっとしたイタズラの思い出があるので紹介します。

◆自身が住んでいた隣の部屋に、2〜3歳ぐらいの幼い子がいる家族が住んでいたんです。
 夏休みのある日、お隣さんに営業の女性が、飛び込み営業をしていました。
 確か、幼い子供さん用の教材だったように思いますが、
 玄関の外で、それぞれがしゃがみこみ子供さんに
 実際に見せながら、説明があっていたようでしたね。

 自分は、近所の遊び仲間と自宅の玄関前でそれぞれが飼っている
 カブトやクワガタを見せ合っていました。
 暫くすると、自然と近くに行って、買いもしないのに
 一所になって説明を聞いていたんです。

 当然、自分たちには関係のない話なので退屈になり、営業中にもかかわらず、その営業の女性に対して、
 自分たちのカブトやクワガタの紹介が始まってしまったわけなんです。
 営業の女性からしたら、邪魔以外の何者でもなかったでしょうね。

 そして、営業の女性が言ってしまった一言が、その営業の女性自身を苦しめる事に。
 「虫、苦手なのよねぇ〜」
 虫大好きな子供が、この言葉を聞いたら結果は見えてますよね。

「へぇ〜、虫が苦手な人がいるんだ」みたいな感じで、
 先ず自分が営業の女性の肩にクワガタを【チョコン】。
「えぇ〜、うわぁ〜」

 面白いリアクションに、遊び仲間も次々と参加。
 けっこうな数のカブトやクワガタが服の上からですが、
 肩や腕、背中を這い回る事に。

 誰かは、頭の上にまで乗せていたようでしたね。
 完全に固まってしまい、営業どころではなくなってしまった女性の姿が
 とても懐かしく思いだされます。

 今更なんですけど、この営業ウーマンのその後を想像すると、
 お上品ではない、激しいお声が聞こえてくるようですね。
(2008.08.14)

●自身の不思議な体験。
◆オリンピックの話題で盛り上がってきましたね。
 各国代表のぶつかり合う熱い思いが伝わってきます。
 いいですねぇ〜。それぞれの人生をかけた真剣勝負。
 各選手の思い。周囲の人の思い。そして様々なドラマ。

 自身も小学時代にだけ格闘技をかじり、
 そして、中学の3年間だけ水泳部で競泳をかじり、
 スポーツに関して、無縁というわけではないもので、
 お盆が過ぎた頃にでも、その当時の体験談を紹介したいと思います。

●自身の不思議な体験。
 中学1年の時に体験した話です。
 あるアパートに、その当時を含め8年程住んでいたんですが、
 中学に入って、誰から聞いたのか忘れてしまいましたけど、
 あるラジオ番組を好んでよく聞くようになったんです。
 放送は夜の9時頃から始まり、月曜から金曜の週5回ぐらいあっていたように思います。
 週に1回だけでしたが、怖い話のコーナーがあり、怖いながらにも欠かさず聞いていました。

 ある日の放送で怖いと言うよりは、不思議な話があっていたんです。
 簡単に説明すると、火事が起きる前に、必ずその現場にサイレンを鳴らした
 実体の無い消防車が、現れ消えて行くといった感じの話だったんです。

 次の日の夜、入浴中でしたが、ものすごい自動車のブレーキ音が聞こえたもので、
 入浴後、家族にブレーキ音の事を聞いたんです。
 すると、誰もそんな音は聞いていないと応えるもので、とても不思議に思え、
 そして、昨日の消防車の話が頭をよぎる事に。
 翌日の朝になっても、消防車の話と自動車のブレーキ音が、
 頭から離れないまま、学校へ行く時間となりました。

 アパートの敷地から、隣接する道を右折して学校へ行くのですが、
 道に出て見ないと、右からくる人や自動車などは、
 視覚的には確認できなかったんです。
 アパートの敷地の方が高い位置にあり、隣接する道は、
 右から左へ下り坂だったんですけど、
 当時は先ず聞き耳をたて、接近する物を判断し、
 そして、右折していた記憶があります。
 8年間も住んでいた所ですから、そのような感覚に絶対の自信があり、
 当然慣れてしまい、それなりのスピードで道に飛び出していたですもんね。

 その日も普段どおり自転車にまたがり、聞き耳をたてました。
 何も接近する音を感じなかったんですが、消防車の話と
 ブレーキ音が頭に残っていたもので、かなり意識して
 ゆっくり道の右折側を覗くようにアパートの敷地を出たんです。
 するとビックリ。自動車が目の前に現れたんです。
 いつもの感じで飛び出していたら、間違いなく自動車と接触事故でしたね。
 不思議な体験だったもので今でも鮮明に覚えている出来事です。
(2008.08.12)

●お盆が近づいてきましたね。
●紹介するならこの時期かなと思いまして。
 現在もなんだかんだ言いながら元気でおしゃべり好きな80代女性の体験談です。
 この方をNさんと呼びます。
 以前、Nさんが交通事故で亡くなりかけ、臨死体験をされた話を聞いた事があったんです。
 ある時の事、不意にお盆の話から、あの世の話を本にしたら売れるんじゃないかと
 言われた事があり、そこでNさんに聞いたんです。

 「確か、お花畑を見た時の話を以前されてなかったですかね」
 「あ〜あれね」
 「本当に行ってしまった人は、誰1人帰って来てないからねぇ〜」
 「川を渡った向こうの事ですか」
 「そぉ、そこの話を本にできたらなぁ〜と思ってね」

 Nさんが見たお花畑というのは、一面ピンク色の蓮の花が、見える限り広がっていたとの事。
 自分のイベージとしては、花の種類に関してはピントきませんけど、
 あの世のお花畑といえば、黄色のようなイメージがあったですね。
 Nさんが言うには、その時には川は見えなかったらしく、よく説明がわかりませんでしたけど、
 着たことも見た事もない、ふんわりした感じのドレスを身にまとっていたとの事。
 そして、誰からも呼ばれる事なく目を覚ますと病院のベッドに寝ていたらしいです。

 どうしても、川を渡った世界を題材に本を書いてみたいような話をされるので、
 「いずれまたチャンスがきますよ」などと返答をすると、
 「さぁ〜て、天国にいけるかどうか」などと言葉を返してくるんです。
 それから先は、次のチャンスが来た時にどうしたら良いかなどと、
 でたらめな空想話で盛り上がる事に。

◆勘違いされると困るので一言。
 人生を全うせず、逃げようとする者は、環境を変えてでも、
 その場から逃げて人生を全うするべきです。

 生きている者には、判らない世界の事です。
 人生を全うする事から逃げようとする者が
 期待するような世界などは、
 どこにも無いと思いますからね。
(2008.08.10)

●原爆、終戦から63年(続編2)
◆平和が1つのキーワードとなっているオリンピックが、8月8日にペキンで一先ず無事に開幕したようですが、
 このような時期にグルジアとロシアの間で、南おせちあ自治州を舞台にした戦闘が始まったようです。
 民間人にもかなり死傷者がでているような報道があっていました。
 結局の所、エネルギー資源が関わっているようですけどね。
 ペキンオリンピックにしても、単純に楽しめないのが非常に残念です。
 今後は、自由や平和、環境などとは程遠い国が、オリンピック招致をしてほしくはないですね。

◆実際目にした、人の体に残る戦争の傷跡。
 自分は福岡県で生活しているのですが、長崎で被爆体験をした方を数人ですが知っています。
 あまり詳しくは聞いていないので、現在はどんな感じなのか判りませんが、
 会った当時はそれなりにお元気だったように記憶しています。
 自分は、小・中学校の時の修学旅行で長崎や広島に行く機会があったのですが、
 原爆に関する施設も当然見たんですけど、「うわぁ〜」という言葉しかでなかったです。

 又、ご高齢の介護に関わった時、特に男性になるんですが、
 銃弾を受けた跡や、砲弾を受け、片足の膝から下を切断された人などが、
 その傷跡のリアルな説明をされたり、麻酔なしで手術を受けた体験談など、 
 とにかく痛々しい話を聞いた事が思いだされます。
 思い出すとぞっとしますけどね。

 そして、戦後というのは、空腹との闘いだった事をほとんどの方が言ってあったですね。
 施設などで、当時を知る女性たちが集まっている時に、闇市で手に入れた白米の話などは、
 自分たちに笑い話として聞かせてくれた事もありましたね。
 とにかく、食料の確保が大変だった事を多くの人から聞きましたよ。
(2008.08.09)

●原爆、終戦から63年(続編1)
●とにかく、様々な体験話から、それに伴なう痛々しい傷跡。
 最近、見聞きしたテレビやラジオの中で、
 静かな口調ながらも、熱いメッセージを耳にしました。
 すると様々な人や言葉、声や話している様子を次々と思い出す事に。

 当時の大変だった事やその時の心境を、自身の事であれば、
 だいたいの人が軽い笑い話にして聞かせてくれましたが、
 家族や友人の命にかかわる話に関しては、
 ほとんどの方が、涙を浮かべ話されてあったです。

 自分は、くだらない話でも書いている方が、似合っていると思うのですが、
 ご高齢の方たちが、今の若い人たちに話しても聞きはしない事を
 苦笑いで言われるんですよね。
 激動の時代を知る人たちの生の声は、
 いつでも聞けるわけではなく、時間が限られていますよ。
 (当然ですが、当時の事を触れられたくない人もいますからね。)

 実際にその時代を生きた人にしか語れない真実の断片を聞き、
 正直どのように書こうか迷っている状況です。
 原爆や、そこに至る戦争の話などは、興味がある時期と、関わりたく無い時期が
 誰にでもあると思います。

 当然このような話を見聞きした後は、チャラチャラしている者が、
 よけいにチャラチャラして見えるんですよね。
 今の時代にも、今の時代なりの悩みがあるとは思いますが、
 ご高齢の方たちが青春時代を生きてきた頃の話を聞いたら、
 自らに気合が入るし、たいがいの事がくだらない悩みに思えますよ。
 (現代でも、本当に深刻な悩みを持った人は確かにいますけどね。)

◆では、思い出すままに様々な体験談を書いていく事にします。
 自分が一番最初に聞いたのは小学生の頃で、
 その小学校の先生が生徒に向かって
 「あなたたちと同じぐらいの年齢の頃に体験した話です。」
 という感じで話が始まった事を記憶しています。

 詳細な内容というのは忘れてしまいましたが、印象に残っているのが、
 当時、集団下校をしていたら、空襲警報の音が鳴り響き、
 近くに竹林があったので、隠れようとして走ったらしいです。
 しかし、敵戦闘機に竹林へ隠れる姿を見られてしまい、
 爆弾を投下され悲惨な結果に。

 話をされていた先生と、数名だけが助かったらしく、
 そしてとんでもない光景が目の前に。
 想像できるでしょうか、食事がのどを通らなくなるような映像を。
 飛び散った友人たちの体の一部が竹林内に広がっている映像を。
 こんな事ばかり想像し考えていたら、おそらく精神的に不健康になると思います。

 当時を知る人たちも、とにかく平和で、豊かで、笑いに満ち溢れた時代を願い
 頑張ってこられた事と思います。
 しかし結果的に、同じ思いをさせたくないという願いから無関心で、
 視野の狭い考え方の人が増えてしまったんじゃないでしょうか。
 自分もこのような事を考えるのは一時的なもので、
 普段は、くだらない事ばかり考えて生活しています。

 例えば、沖縄旅行の際、楽しむ事が目的であった時に、
 現地の知り合いから重たい話をされ憂鬱になった事。
 身近な知り合いに、重たく暗い話を極端に好んでひまさえあれば、
 憂鬱になる話を語り合おうとする人がいた事。
 タイミングが悪かったりすると、重く暗い話は
 とにかく拒絶した事を思いだします。

 現在は本もあれば、録画や録音、携帯電話やパソコンといった感じで、
 それぞれのタイミングで、興味を持った時にいつでも知ることができます。
 自分のペースで良いと思いますから、時々は自分なりに考えてみてください。
(2008.08.07)

●原爆、終戦から63年になるんですかね。
●世間は、スポーツに関する話題で盛り上がっていると思いますが、フレッシュルームコラムでは、
 青春時代に、命をかけ、戦い、守り、耐え忍んでこられた方たちの体験話を紹介します。
 自身が以前は介護に関わっていた事や、現在は鍼灸マッサージを職業としているもので、
 当然なんですが、当時をたくましく生きてこられた方たちと多く接する機会があるわけです。
 自身があたりまえに思える事が、どれだけ幸せであるかを知る良い機会に恵まれました。

 極端に、自身が楽しむ事ばかりのバランスが悪い考えかたや、
 政治に無関心で、人任せの能天気な考えかた、
 とにかく、なにげない生活を幸せに感じられない人が多いようです。
 そこで、この機会に数回にわけて紹介していきたいと思っています。
(2008.08.06)

●海のレジャーに関して。
●スキューバーダイビングに関して。
 余談になるんですが、5月に掲載したフレッシュルームコラムで、
 自身のスキューバーダイビング初体験の事を紹介したんですが、
 最近ニュースで体験者が海に潜ったまま亡くなっている事を
 数例ですが、耳にしています。

★体験者の方は、絶対に無理しないでくださいね。
 余程動きに異常がなければ、体験者の方がOKサインで応える限り
 ダイビングは続行されると思います。

 どのような場所におられても、原因不明で急死される運命だったのか、
 無理をしたための結果だったのかは判りませんが、後者の場合であるならば、
 自身の命がかかっているのですから、周囲の人に迷惑をかけたくないとか、
 そのような変な気づかいは無用ですよ。
 その人の性格によって様々な理由があるのかもしれませんが、
 必ずインストラクターに伝えて浮上してください。

◆自分の友人にも、命にかかわる事ではなかったんですが、
 耳ぬきが不完全なのに、周囲の体験者と合わせてしまい、
 インストラクターにOKサインで答え続けた者がいます。
 この者に関しては、後々笑い話になるぐらいですんだのですけどね。
 今回は紹介しませんが、次の機会に海に関する笑い話を掲載する時、
 その中の話の1つとして、紹介したいと思います。
(2008.08.03)

●学生の夏休みも、1ヶ月となりましたね。
◆昨日は自身も以前よく見に行っていた
 大濠花火大会があったようですね。
 様々な花火大会で、自身が体験した話や、
 知り合いから聞いた話の中にも、【ニヤ】っとできそうな
 体験話があったので、近いうちに紹介します。

●8月に入り、学生の夏休みも1ヶ月となりましたが、
 宿題の方は順調にかたづけているでしょうか。
 ほとんどの方が、夏休み当初の計画よりも、遅れているんじゃないですかね。
 自身も遊ぶ事に夢中だったので、いつも夏休み終盤になると、
 大変な思いをする事になっちゃってましたけどね。

 確か、一回だけ夏休み前半をあまり遊ばずに、
 頑張って宿題をかたづけた記憶があります。
 結局の所、いざ友だちと遊ぼうと思っていたら、
 今度は、ほとんどの友だちの方が宿題に追われてしまい、
 なかなか遊べなかった苦い思い出があります。

 そう言えば、宿題で面白い事をやりましたね。
 小学4〜6年の時だったか、中学1〜3年の時だったか、
 どちらの時か忘れてしまったんですけど、
 夏休みの宿題で、読書感想文という物があったですよね。

 夏休みの間に本を一冊読んで、その感想文と、絵を書いてくるように
 担任の先生から言われていたんですが、めんどうだったもので、
 3年間連続で、同じ本を題材にした事がありましたね。
 それも、小学2〜3年の頃にもらった探偵物の本で、
 自分の思考にピッタリな感じの本だったんです。

 理由は簡単で、全部読まなくてもよさそうな感じで、
 本の最後の方に簡単な粗筋があったからなんですけどね。
 案の定、粗筋だけの内容で、読書感想文を書く事となり、
 2回目3回目が同じような読書感想文にならないために、
 それなりに考えて書いた事が思い出されます。
(2008.08.02)

もどる
バックナンバーリスト
build by HL-imgdiary Ver.1.25