2008年09月のコラム

●黒猫チャチャとの思い出。(続編8)
●はしゃぎ続ける子猫との格闘。
 月明かりが差し込む静かな2階の部屋の中、
 夜中にもかかわらず、遠慮なく楽しそうに遊び続ける子猫。
 子猫を初めて2階の部屋へ招待し、遊ばせていたのは自分なんですけど、
 自分の方は対照的に、眠気と疲れのあまり、横になっている状況。

 子猫を部屋の中で自由に遊ばせている状況の中、背を向け横になり、
 目をつぶってうとうとしていたんですが、暫くすると、耳ざわりな音が。
 どうやら、子猫が部屋のどこからか、プラスチックらしき小物を見つけたようで、
 さらにテンションを上げた感じで、ジャブ・ジャブ・フックを始めてしまったんです。

 夜中で、それも眠ろうとしている静かな部屋には、元々いろんな音が響くというのに、
 ましてや、プラスチックらしき小物を、床の上で転がされて奏でられる音というのは、
 自分が眠りにつくには、ちょっと耳ざわり過ぎだったもので、
 先ずは、子猫に対して軽い感じで声をかけてみたんです。

 「さっきから何を転がしようとね〜」
 「もうおそいんだから、そろそろねらんね〜」
 背中を向け、横になったままの状態で話かけていたのですが、
 当然子猫には、言葉の意味など理解できるはずもないんですよね。

 見事な感じで、話かけているそばから、床の上を転がるプラスチックらしき小物の音、
 どうやら、ジャブ・ジャブ・フックをやめるつもりなど、全く頭にない様子。
 こちらの気も知らず、楽しそうに遊び続ける子猫が、なんと耳ざわりな事でしょうか。
 このままでは眠れないと、大きく溜め息をついてしまった自分。

 我慢の限界も近づき、だるい体を起こして、子猫の元へ行ってみると、
 以前、床の上に落とし、放置していた鉛筆のキャップというのが、元凶だったみたいなんです。
 そこで、お楽しみ中ではあったんですが、こちらも全く遠慮せずに鉛筆のキャップを没収し、
 そして、この子猫がどのようにしたら、眠ってくれるのかを考える事に。

 子猫がこの家に捨てられていた日から、一緒に生活が始まって2階の部屋に上がって来るまでの
 この数日間というのは、1階の濡縁に置いていた、ダンボール箱の中で夜を過ごしていたわけで、
 そのダンボール箱をこの部屋に持ってくれば、眠ってくれるのではないかと考え、
 一先ず試してみようかと、ドアの方へ歩きだしたんです。

 鉛筆のキャップを取り上げられ、少しテンションが下がりぎみの子猫に対し、
 ドアの前で、 言っても理解できないとは思いながらも、
 「すぐ戻ってくるから、おとなしくしとかなよ」みたいな感じの言葉をかけ、
 子猫を2階の部屋に残し、溜め息まじりに1階の濡縁へ。
(2008.09.30)

●黒猫チャチャとの思い出。(続編7)
◆2008年8月後半頃に掲載した内容の続きになります。
●自身と子猫との、適わぬ願いのやりとり。
 ある夜中の事、2階の窓の網戸越しに、ひょっこり顔を覗かせて、
 可愛らしい声を出している子猫の姿がそこにあったんです。
 「遊ぼうよ・部屋に入れてよ」みたいな感じだったんじゃないでしょうかね。
 思わず「えぇ〜・下で寝とったっちゃないとね・よう上がりきったねぇ〜」などと、
 ちょっとビックリした感じで子猫に言葉をかけ、自然と抱きかかえていました。
 そしてこの時、初めて2階の自分の部屋に、子猫をご招待したわけなんです。

 子猫の様子を見ていると、先ず部屋の中をゆっくりと探っているような感じでしたね。
 そして、安心したのか慣れてきたのか、少しづつ動きが活発になってきたんです。
 子猫からすれば、部屋の中に入れてもらった嬉しさもあったでしょうし、
 見る物すべてが珍しかったでしょうからね。

 飽きる事なく部屋の中を動き回り、次から次へ遊ぶ方法を探し出すもので
 暫くは、楽しそうに遊ぶ姿を、ほのぼの気分で見ていました。
 ある程度の時間が過ぎ、眠気の方が強くなってきたもので、確か、子猫に向かって、
 机の上にはあがらないように声をかけ、自由に遊ばせたまま、横になり眠りについたんです。

 ところが、時間と共に、子猫のはしゃぎっぷりにも研きがかかってしまい、
 何か見つけたらしく、猫特有の遊び方が始まってしまったようなんです。
 月の光が少しだけ差し込む静かな部屋の床に響き出した、
 ジャブ・ジャブ・フックの音。
 ちょっとばかり、騒々しくなり、眠るには辛い状況になってきました。

 元来は夜行性なんでしょうから、夜にテンションが高くなるのは当然なんでしょうけど、
 飽きる事なく、いつまで経ってもかなりのハイテンションなんです。
 この時の様子を思い出していると、季節はまだ早いのですが、自然に【雪】の替え歌が、
 1フレーズなんですけど、こんな感じで浮かんできちゃったんです。
(・子猫は喜び、部屋駈けまわり)

→そこで適当に言葉を当てはめてみました。
・あっちでコンコン、こっちでコンコン
・何かを見つけちゃ飽きずに遊ぶ
・子猫は喜び、部屋駈けまわり、
・自分は疲れて横になる

 つまらない替え歌をご披露しちゃったですね。
 一瞬、全ての歌詞に言葉をあてはめようかとも思ったのですが、
 こんな事を考えているのが、バカらしくなったもので、
 あっさりとやめちゃいました。
(2008.09.28)

●プレッシャーについて。
●プレッシャー
◆プレッシャーを受けた時、誰もがそれに打ち勝って結果を出せるような人になりたいでしょうが、
 そのプレッシャーというものを跳ね返したり、パワーなどにできる人は希な存在だと思います。
 多くの人が、思いつめてしまい、必要以上の緊張と共に、力が入りすぎる状況となり、
 気魄が空回りといった感じで、良い結果や実力が出せる確率というものを、
 自らが、わざわざ低くしていますよね。

 プレッシャーに打勝とうとする気魄が、相手を畏縮させ、自身を有利にしているなら良いのですが、
 ただ自身が畏縮し、相手を有利にさせているだけのずれた気魄というものを、
 いつまでも繰り返している人というのが、かなり多いように感じます。
 自他共に認めたくはないでしょうが、責任感がいかに強い者であっても同様な感じで、
 誰もがプレッシャーに強いとは限りません。

 実力はあるのに結果が出せないという、プレッシャーに弱すぎる現実というものは、
 そのままの考え方を続けていても、克服はかなり難しいのではないでしょうか。
 そこで、闘いの場において、それぞれの選手に合うような、プレッシャーを【かわす】といった
 精神面でのトレーニングを、もっと意識する考え方、あってもいいんじゃないでしょうかね。

 なんとなく想像できると思うのですが、身体と同様に、プレッシャーに対する精神面においても、
 パワータイプや、技術タイプというのがあるように思うのです。
 これらは、外見とは必ずしも同様ではなく、多くの人は技術タイプなのではないでしょうか。
 そして、プレッシャーに強い人は、自らを理解し、良い結果を出すための
 独自の方法論を持っているんじゃないでしょうか。

 ただでさえ、プレッシャーの存在というのはやっかいなのに、本来技術タイプの人が、
 パワータイプにこだわって、プレッシャーに打ち勝とうとするのは、自分の想像なんですけど、
 プレッシャーから逃げるようなイメージが強くて、心の技術でかわすという事に
 抵抗があるんじゃないですかね。

 結果、精神面が技術タイプでありながら、パワータイプにこだわり、
 見事に自滅状態ですし、さらに、身体面の実力を発揮できずに苦労しているのに、
 一撃必殺にまでこだわっているもので、よけいにガチガチですもんね。
 厳しいプレッシャーの中、繰り返し練習してきた事が
 考え方1つで、結果に大きく影響するんじゃないでしょうか。

 なんだか同じ意味合いの内容を繰り返し書いてしまったようですが、
 基本と経験値というものは、自身に合った心理状態の中であれば、
 それなりの確率で結果がだせるように思います。
 自分なりの自然体を維持する事は、とても難しいですが、
 へんな欲を出せば、良い結果を出す確率を
 下げるだけだと思います。

 闘いの場では、意識すべき事と、意識すべきでない事が必ずあり、
 それは、時と場合や、自身の状態で変化し、
 見極めが大切になってきますよね。
 かなり偉そうな独り言になってしまいました。
(2008.09.27)

☆王ホークス☆
●☆【ダイヤモンドのタカ】たちへ☆
 王さんに、こんな感じのままでユニホームを脱がせていいんですか、
 ホークスの選手たち。
 まだシーズンは終わっていないんですから、
 ちっとは気合を入れなおすなり、ひらきなおるなりして、
 イジをみせんですか。
 【王ホークスの力は、こんなもんじゃないでしょうが】
☆鍛えし翼で、勝利の空へ再び羽ばたけ。☆
☆ダイヤモンドのタカ・王ホークス☆
(2008.09.24)

●秋分の日に関連して。
●秋分の日ですね。
◆お彼岸に関連して
 里の方でお世話になっているお坊さんなのですが、ずいぶん前に聞いたインパクトのある
 ご自身の笑い話を一言で紹介すると、
 【お香アレルギーのお坊さん】→後はご想像にお任せします。

◆この時期、太宰府天満宮で言えば、神幸式大祭が9月21日〜25日の間行われており、
 その関連施設である榎寺[榎社]がフレッシュルームの近くにあるんです。
 太宰府に住んでいながら、前日の22日夜に五行の鐘・太鼓の音や竹の曲の音色によって
 毎回、神幸式大祭が行われている事に気がつく有様なんです。
 自身が生まれ育った地域ではないからなんでしょうけど、
 歴史を感じさせる行列を見ると、太宰府に住んでいる事を実感します。

 しかし、この行列の中にも、現代ならではの役割を担当する人たちがおり、
 時代の流れを感じさせる、この光景というのも面白いんですよね。
 この行列の中には、牛も含まれていると言えば
 なんとなく想像ができる人もいるんじゃないでしょうか。

★地元にある九州国立博物館では、
 ちょうど今日から、開館3周年記念
 【国宝 天神さま】が始まったようです。
(2008.09.23)

●選挙に関連して。
●なにげに思い出した生徒会の選挙。
 今みたいな時期だからでしょうか、どのような内容を書こうか考えていると、
 小学時代の生徒会会長などを決める時の事を思いだしちゃいました。

 自分が立候補したわけではないのですが、その場の流れで、生徒会会長へ立候補する事になった
 クラスメートがおり、その応援担当を同様な感じで、自分がやる事になってしまったんです。
 詳しくは覚えていませんが、それぞれのクラスから何人かが立候補し、その人の応援担当者が何人かつき、
 そして、選挙権がある学年の各クラスを回った記憶があるんです。
 この時の投票が、なんとなく記憶に残っているんです。

 なぜなら、自分が投票した人は、応援を担当した人ではなく、
 この人の方が良いだろうと思った立候補者を自分なりに選んだからなんですよ。
 まあ、最初から頭数を合わせるために立候補させられたようなものでしたから、
 何も問題はなかったんですけどね。

 今でも当然の事ながら、選挙がある時は自分の意思で立候補者を選んでますが、
 そうではない人たちもいるような感じがしますけどね。
 「選んだのは国民ですから」という言葉をよく耳にします。
 さて、一般国民が投票できるのはいつ頃になるのでしょうか。
 そのような時期には、再び関連した内容を掲載したいと思っています。
(2008.09.22)

●介護体験実習。
●街の中での体験実習。(前々回の内容の続きになります。)
 あらためて思い出すと、今から17年ぐらい前の体験話になるんですよね。
 とても親切な方たちや、怒りを覚えるような店員など
 思い出せる記憶というのが断片的で、話がつながらず、
 かなり説明がしづらいという事に気がつきましたので、
 今回は、当たり障りの無い簡単な体験談となってしまいました。

 介護福祉士になるための専門学校というのが、室見川沿いの住宅地にあり、
 その学校から、車椅子やアイマスクを使用して、屋外の移動というものが始まったんです。
 アイマスクを使用した場合で言えば、眠る時に目をつぶっている感覚とは全く違い、
 自分を含めほとんどの人が、目の前に壁があるような感じを受けていたようです。
 実際に失明され自由に歩き回られる方は、空間を感じているような事を聞きましたし、
 感覚のするどい方は、場所の条件はあるようでしたが、音の反射で階段の数が
 だいたい判ると言ってあったようでしたね。

 車椅子を使用した場合で言えば、
 他のグループの車椅子担当者だったと思いますが、
 自身での車椅子移動が可能といった条件で体験実習を行っていたようで、
 室見川沿いを数百メートル移動したぐらいで、疲れきっていたようです。
 普通に歩く時には、全く気にならない段差や上り坂がやたら気になるし、
 当時は、交通機関や様々な店舗の利用というのも、かなり不便だった事を記憶しています。
 現在のフレッシュルームも同様な事が言えますけどね。

 そう言えば当時、デパートの従業員さん1人が、職場内で指導、アドバイスをするため
 介護福祉士の免許を取得しようと入学されていたようでした。
 デパート名を出すと、従業員さんたちに対して、へんなプレッシャーをかけるかもしれないので、
 あえて公表はしませんが、すばらしい事だと思います。

→機会があれば、ご自身で実際に体験される事が一番だと思いますが、
 体験実習前に授業の中で絶対に忘れないように言われていた事。
・体験者というのは、車椅子からおり、アイマスクをはずせば
 すぐに普通の生活へ戻れるという事。
・障害を持たれた方は、体験実習での体験が生涯続くという事。
 (今後の医学や、補助機器の進歩によって多少は)変化するでしょうけど)
 このような事を忘れずに意識して、
 ぜひ体験してみてください。

★しかし、障害や病気を持たれていても、日常生活の中には笑いもたくさんあります。
 一緒に笑ったおもしろい体験談で、紹介できるものを何れは掲載したいと思います。
(2008.09.17)

●敬老の日に関連して。
◆街の中での体験実習を掲載するつもりでしたが、
 敬老の日なので、ちょっと変更します。
●生前のじいちゃん、ばあちゃんの笑い話。
→それぞれのエピソードを詳しく書くとややこしくなるので、
 今回は簡単に紹介します。

 自身が小学6年生前後の頃に、ばあちゃんがどちらかの手首を骨折し、
 その後、自身も中学2年生の冬に、右手首を骨折したもので、
 この2つの事が、その後のじいちゃんに影響してしまい、
 ちょっと大袈裟なのですが、究極の選択話という形で
 じいちゃんの笑い話の1つとなったんです。

 ある日の事、家にはじいちゃんしかおらず、キャタツに上って、
 1人で庭の木をいじっていたとの事。
 するとキャタツがぐらつき、庭の塀に向かって
 キャタツと共に倒れてしまったらしいのです。
 この時に、2人が手首を骨折していた事を思い出してしまい、

 このまま手をつくと、手首を骨折するかもしれないと思ったらしく、
 手をつくか、手を引っこめるか、キャタツと共に倒れ行く中悩んだとの事。
 結果的には、倒れこむ瞬間、手首の骨折を避けようとして
 手を引っこめた状態での転倒となったそうです。

 転倒後の話で言えば、無事に手首の骨折は回避できたようなのですが、
 じいちゃんからすると予想もしない結果が待っていたようなのです。
 なんと、【肋骨の骨折】
 とにかく(呼吸・咳・くしゃみ)の時の痛みというのが、
 暫く続いたようです。

 当然ですが痛みのために、気持ち良く笑う事も出来ないと言いながらも、
 いろんな人にどじな体験談を話し、笑ってもらっていたようです。
 自分やばあちゃんの手首の骨折が
 ある意味で活かされたんじゃないですかね。
(2008.09.15)

●敬老の日が近づいてきましたし、パラリンピックにも関連して。
●障害がある条件での日常生活体験授業の思い出。
 おそらく、医療や介護・教育やサービス業の人は授業や研修の中で、
 不自由な日常生活というものを体験し、それぞれの仕事の中で、
 その体験をいかしている事と思います。
 また、体験イベントや、自身が実際に怪我や病気などで
 不自由な思いをした人も多い事でしょうから、日常生活に及ぼす
 障害の影響というものを、容易にイメージできるのではないかと思います。

 自分には関係ないと思っている人たちや、考えたくはないという人たちも
 当然多い事と思いますが、誰にでも不慮の事故や病気の可能性がありますし、
 自分以外の人で、身近な人や生まれてくる子供が生涯、
 不自由な思いをする可能性というのも否定できません。

 自身の事で言えば、介護福祉士になるための専門学校の1年生の頃に、
 数グループに分かれ、そのグループ内で、不自由な条件の担当者と、
 介助する担当者の両パターンを街の中で体験するといった授業があり、
、福岡市内の天神地区を歩き回った事があります。

 不自由な条件の担当者として、大きく分けてなんですが、
 確か【車椅子とアイマスク】を使用する2パターンで
 それぞれのグループで、不自由な条件を細かく決め、
 そして、体験実習を進めていったように記憶しています。

 次回この時の体験実習について印象的な事を覚えている限りで紹介しようと思いますが、
 本当に大変だったというのが実感です。
(2008.09.13)

●パラリンピックに関連して。(盲人野球体験編)
●盲人野球について。
 盲人野球に関しても、前回紹介した盲人バレーと同時期に体験したのが最後になっているので、
 ちょっとした練習中の時や、ゲーム中の時の印象的な話の紹介になります。

 ルール的には、野球やソフトとほぼ同じなんですが、視覚障害者が参加する野球なので、
 使用するボールというのは、正確には覚えていませんが、ハンドボールみたいな物でした。
 そして、アイマスクをつけた全く見えない状況の選手を、各チーム内のプレイするメンバーの中に、
 必ず、2人だったか3人だったか含めた条件で試合をするルールでしたね。
 ピッチャーというのは、そのアイマスクをした人が担当する事が決まっており、
 それ以外のアイマスク使用のプレイアーは、それぞれのチームで自由にポジションを決め
 そして、試合をするといった感じでした。

 ピッチャーやキャッチャー、そしてバッターの様子を説明すると、
 先ずキャッチャーが、声と同時に数回手を叩いたりして、投げる方向を知らせます。
 そして、ピッチャーは、ボールが地面から離れないようにアンダースローのような感じで投球していきます。
 →投球のイメージとしては、ボーリングのような感じと言えば、なんとなく理解できますかね。
 バッターというのは、地をはってくるボールを、アッパースイングのような感じで打ちます。
 →簡単に言えば、ゴルフスイングのような感じですかね。
 アイマスクをつけた人は、重心を低くして、バットを寝かせたような感じで構え、
 ボールが転がり近づいて来る音を聞き、見事なタイミングで打っていました。

 全盲者であれ弱視者であれ、アイマスクをつけてプレイする人たちの感覚のすごさや、
 その勇気というものは、自分には真似できませんね。
 少々無理はありますが、ピッチャーで想像しやすく例えるならば、
 健常者が目をつぶってボーリングをするような感じでしょうし、
 ランナーとして走るにしても、健常者が目をつぶった状態で、
 全力で走る事はなかなか困難だと思います。
 打球がライナーで直撃するかもしれないといった恐怖心にも勝たないと
 試合には参加できないでしょうからね。

 特異的なルールとして、守備側のアイマスク使用者が停止していない打球を取ると、
 アウトになってしまうので、弱い打球の時には走塁であたふたする光景も良くあるし、
 ピッチャーもコントロールが良く、左右へ変化球を投げるもので、バッティングにしても、
 いがいと簡単ではなかった事を憶えています。
 バッティングとしては、通常の野球に比べると、打つポイントを前にしないと
 良い打球が飛ばないといった感じです。

 特に印象深いのは、守備練習の時だったでしょうか、
 中学生になったばかりぐらいの小柄な全盲の子が、
 少し早い打球が転がって来ると、見事によけるもので、
 「逃げるなぁ〜」とノックをしている先生から言われつつ、
 びくびく練習していた光景が思い出されます。
 しかしながら、最終的には、逃げていた打球も取るようになったし、
 取る事が無理な打球でも、体で止めるようになったですもんね。

 自身の事で言えば、バッティング時の事ですかね。
 打球を遠くへ飛ばしたいがために、力が入りすぎて、ボールと共に地球までひっぱたき、
 木製バット数本に、ヒビを入れてしまったもので、最終的にはマスコットバットと言うのでしょうか、
 地球をひっぱたいても、大丈夫のような重たいバットで、打席に入った事を思い出しちゃったです。
 当時、後々何だか手が痛くなったもので、何をしたのか考えていたら、
 木製バットで地球を相手にした事を思い出したわけなんです。

◆障害者スポーツを体験した事がない健常者に対して、
 アイマスクや、眼鏡などを工夫して、まともに見えない状況で
 盲人野球やバレーなどのスポーツを体験してもらうのも、
 面白いかもしれませんね。
 何れは、このような内容に関連する話も掲載するつもりです。
(2008.09.10)

●パラリンピックに関連して。(盲人バレー体験編)
●盲人バレーボールについて。
 当時は、まだ地域それぞれのルールがあったようですし、
 自身も10数年前に体験したのが最後となっていますから、
 正確なルールは忘れ、ゲームの記憶もかなり曖昧なんですけど、
 憶えている限りで紹介したいと思います。

 ゲームをする場所としては、体育館内のバレーコートを使い、
 ネットは低く張り、ボールというのは、そのネットの下を通過させます。
 相手コートを攻撃する際、ボールが跳ねるとネットに引っかかるので、
 いかに強い打球が跳ねないように打てるかが、ポイントになってきます。

 ゲームの特性上、プレイする人たちは、手袋と膝サポーターを身につけ
 6人制バレーボールのような配置で、ゲームを楽しんだように記憶しています。
 ポジショニングとしては、中央の前衛後衛のポジションに、全盲者がつき、
 タイミングは忘れたんですが、その2人で前後のポジションチェンジをしていき、
 両サイドノ前衛後衛に、弱視者や健常者がつき、通常のバレーボールのように、
 時計回りに、ローテーションをしていくといった感じでしたね。

 当時のその場でのルールとしては、前衛両サイドの弱視者や健常者でも、
 ネットの前からアタックができるようにしていました。
 そして、アタック時、相手コートの床内に、ボールが2回はバウンドしないと
 アウトになるルールだったですね。

 使用するボールの中には鈴が入っており、前衛の全盲者のみブロックができ、
 そのすごい聴覚によって、アタックコースを見事ふさがれたり、
 さらには、アタックをブロックされた事もありましたね。
 強く早い打球を打とうとして、アタックではボールがしょっちゅう浮いてアウトになるし、
 サーブでは、ネットに引っかかったり、自分のチームの人に直撃した事もあったですね。

 ブロックコースを惑わすために、コート内を走り回ったり、レシーブが上手くいった時は、
 ネットの前でボールをサイドに大きく振ったりと、あの手この手を使い、
 全盲者のすごい感覚に対抗し、ゲームを楽しんだ事が思いだされます。

 当然ですが、視覚障害者にも、それぞれ向き不向きがありますし、
 感覚にも個人差があるという事をお忘れなく。
(2008.09.08)

●パラリンピックに関連して。
●パラリンピックが開幕しますね。
 様々な障害に応じて、特有の競技、ルールもあれば、
 健常者と同様の競技、ルールもあるようです。
 今回から、日本選手のメダリストに報奨金が用意される話を見聞きし、
 自分がもらえるわけではないのですが、なんだか嬉しいと言いますか、
 とにかく良かったです。

 健常者であれ障害者であれ、アスリートの競技に対する思いは一緒なんですから。
 しかしながら、障害を補うために身につけた感覚、筋力、バランスというのは、
 「一言で簡単にかたづけるな」と言われちゃいそうですけど、
 本当に、すごすぎますよね。
 自身も、視覚障害者と健常者が楽しめるスポーツというものを、
 幾つか体験した事があるので、次回紹介したいと思っています。
(2008.09.05)

●食欲の秋と回転ずし。
●知り合いの回転ずし体験話。
 関東の学校に行っていた頃の話らしいです。
 友人8人ぐらいで回転ずし屋に食事に行ったらしいのですが、
 全員が全く視力が無い人たちの集まりだったらしいのです。
 思わずつっこみを入れてしまいましたよ。
 「その時点で、よう回転ずしをチョイスしたもんやねぇ」

 店内に入ると、店員さんに席へ案内され、気をつかっていただいたようで、
 「お好きな物を、お取りしますよ」みたいな言葉をかけてもらったようなんですが、
 それを断ったとの事。
 どうやら、そのグループの人たちは、闇なべならぬ、闇回転ずしと言いますか
 ロシアンルーレット的な事をしてみたかったらしく、そして実行したらしいのです。

 当人たちは楽しんで食事ができたような事を話していたので、
 まあ、よかったですけど、ギャンブル中のその店内の光景が
 容易に想像できてしまい、その場にいあわせた店員さんや、
 周囲にいるお客さんの心の声が聞こえてきそうです。
・それは、またまた、同じやつだってぇ〜
・それは一番値段が高いぞぉ〜」

 その場にいあわせた人たちも楽しめたかもしれませんね。
 くだらない思考と言いますか、おもしろいリアクションを。
 「何やってんだか」の一言ですけどね。
(2008.09.04)

●食欲の秋とホームラン
◆王さんと食事に関連して。
・王さんと言えば、胃を摘出されていますが、
 胃に限らず、自身の体を酷使されてませんか。
・沈黙の臓器たちが、耐え忍んでいるのをいい事に、
 調子にのっていませんか。
・飲食の改善が必要とされている人は、
 取り返しがつかなくなる前に、本気で考えてくださいよ。
・様々な生活習慣病がありますが、
 本当に大変な思いをする事になりますよ。
・本当に忠告を聞かなければいけない人が、へ理屈ばかりを言って、
 後戻りができなくなり、結果的に泣き言ですからね。
・イメージができないのであれば、それぞれの生活習慣病をきっかけとして、
 様々な病気となり、実際に苦しんでいる人たちを見てください。
・生涯おいしく食事を楽しむためにも
 沈黙の臓器たちをいたわってくださいね。
(2008.09.03)

●食欲の秋に関連して。
●生前のじいちゃん・ばあちゃん。
◆前回掲載した、高額な物に大当たりする話は、
 くじの日である今日でもぴったりだったですね。
 生前のじいちゃんは、全く宝くじには興味がなかったもので、
 その宝くじに一部の望をかける自分たちの姿を、
 あきれた感じで見ていた事を思いだしますね。

◆食欲の秋に関連して、
 今回は、このじいちゃんに関する小話です。
 自分が小学生の頃、当時じいちゃんが消化器系の手術を受け
 入院中だったもので、家族でお見舞に行った時の事。
 病室に入ると、消化器系の手術後で、暫くは飲食禁止で、
 点滴オンリーのじいちゃんが、ベッド上に寝ていました。

 ベッドサイドには、ばあちゃんの姿があり、自分たち子供に気をつかって一言。
 「暑かったろう、これでジュースでも買っておいで」
 自分たちは、それぞれに100円を手にして自販機へ。
 ジュースを買って病室に戻ると、自然の流れでばあちゃんの一言。
 「ここに座って飲んでしまい」
 その場所というのがベッドサイドなんです。

 何も考えず、言われるままにジュースを飲みながら、何気なくじいちゃんの顔を見たんですが、
 あの時の表情というのは、かなり印象的でしたね。
 自分たちを見つめる表情に加え、咽まで鳴らしてしまったじいちゃんを見た瞬間、
 子供ながらに罪悪感を覚え、背中を向けジュースを飲んだ事を思い出しちゃいました。
 今思えば、ただの嫌がらせに行っただけでしたね。
(2008.09.02)

●防災の日に関して。
●今日は防災の日だそうです。
 激しい雷雨が各地で大きな被害をもたらしているようですが、
 (自然の力、おそるべし)ですね。
 紹介できそうな浸水に関する体験話は、6月に掲載しています。

◆紹介できそうな、地震体験に関する小話。
 (用心していたつもりが)
・平成17年 2005年3月20日【福岡県西方沖地震】
 福岡に住んでいる人であれば、記憶に残っていると思いますが、
 確か、余震の時の話だったですね。

 マンションに住んである方から聞いた話なんですが、
 それなりの高価なお皿があり、飾っていたとの事。
 最初の大きな地震の時には、運良く落下せず、無傷だったらしく、
 余震があるかもしれないと思い、棚の上から床の上へ、
 前もって安全策をとっていたらしいのです。

 案の定、余震が起きたのですが、結果は予想外の方向へ。
 床の上にある高価なお皿を、棚の上から落下してもかまわないと思っていた
 丈夫な小物が直撃する事に。
 後から考えると当然な結果に、その時の思考を不思議がってましたね。
 ご本人も、笑い話にするしかないようで、
 あちらこちらで話してあったようです。
(2008.09.01)

もどる
バックナンバーリスト
build by HL-imgdiary Ver.1.25