2008年12月のコラム

●黒猫チャチャとの思い出。(続編12)
◆11月後半に掲載した内容の続きになります。
●月の光降注ぐ真夏の深夜。
 一先ず子猫が征する事となった、睡眠と遊びを賭けての深夜の我慢比べ大会。
 しかしながら、降参宣言と同時に実行された、勝者の子猫の室外退去。
 ようやく眠れると横になっても、子猫の様子が気になるもので、
 1分と経たずに体を起こし、網戸の前へと行ってしまう事に。

 まあ、こちらの心配どこへやらで、屋根の上を走り回っているようであれば、
 何も気にせず朝までほうっておくかと、外の方を網戸越しに覗いて見た所、
 困ったチャンの遊んでいる気配というものが、全く感じられずに静かなもので、
 網戸を前に、自然と想像をふくらませてしまう、室外退去後の子猫の様子。

 結局の所、網戸越しには、子猫の姿というものが確認できずにいたものですから、
 月明かりに照らされる屋根の上を見渡そうと、網戸をそっと開けてみたんです。
 窓枠に手をつくと、少しばかり心配しつつ、先ずは、頭だけをちょっと出し、
 そして、キョロキョロと覗き込む事から始めた、困ったちゃんの捜索活動。

 続いて、窓枠から上半身を乗り出すと同時に、自然と視線は遠くへ注がれ、
 右へ左へ首を振り、どこだ・どこだと、ざっと見渡してみたんです。
 ところが、この場所から見える範囲の屋根の上には、子猫の姿は見つけられず、
 次に移った視線先とは、1階屋根と唯一接する、目の前の名前を知らない落葉樹。

 子猫が上って来たと考えられる、勝手口前の、緑の葉が生い茂る落葉樹でしたが、
 耳をすまし、じっと目をこらして見てみるも、子猫の姿は確認できずにいたもので、
 ここからは見えない、反対側の屋根の方で遊んでいるのかとも考えながら、
 視線を何気なく真下に落とし、ふと左側の壁沿いを見たんです。

 すると、上半身を乗り出して手を伸ばせば届く所に、見事にへこんだ子猫の姿が。
 真夏の深夜に、燦燦と降り注ぐ月の光の中、少しばかりの心配と共に開始された、
 子猫の捜索活動は、10数秒程で無事に終了を迎える事ができたわけなんですが、
 この時ばかりは、降参宣言どこへやらで、一安心といった感じでしたね。

 そこで、捜索活動終了直後の、子猫のへこみ具合というものがどんな感じだったか説明すると、
 不断はしゃきっと立てている耳なんですが、心境を表すかのように、見事な感じでお辞儀させ、
 声も出せずに立ち尽くし、泣きそうな顔でじっとこちらを見ている状態だったわけなんです。
 自然な流れでしたが、へこむ子猫に手招きしながら「こっちへおいで」と声をかけてましたね。

 ところが、我慢比べ大会の降参宣言というのが、余りに刺激的だったようでして、
 「ほら・おいで〜」と、何度呼んでも、全く動けずにいる子猫の姿。
 そこで、静かな口調で語りかけながら、窓枠から上半身を乗り出して手を伸ばし、
 再び子猫を室内へとご案内する事となったわけなんです。

◆冬というのに季節外れで、呑気な感じではありますが、
 まだ名前など無かった、黒い子猫と真夏の深夜に繰り広げた、
→寅の刻迫る丑満つ時の話は、年を越してもまだ・まだ続き、
(口からちょろっと出た言葉は、お約束通りの「モー〜?。」)

◆フレッシュルームの、年末年始の営業日時について。
 →2008年の年末の営業は、12月31日(水曜日)まで。
 →2009年の営業初めは、1月4日(日曜日)午後2時〜。

■日記代わりの独り言。
 まあ、予想していた事ではあるのですが、
 最近は録画時間の空き容量というのが減る一方になっちゃってますね。
 自身の興味がある中ではあるのですが、免疫力が上がるような番組から、背筋が伸びるような番組まで、
 様々なスペシャル番組をチェックするというのも、一苦労といった感じです。

 余談話を続けますが、ホラー映画や、絶叫マシンでもないのに、フィギュアスケートというのは、
 リアルタイムで見ると、安心して見る事が難しい競技ですよね。
 よっぽど、格闘技とか、K1やボクシングの方が、痛々しい競技なのに、
 不思議と安心して見れる感じですもんね。
(2008.12.28)

●初めてのアイススケート補足編。
●初めてのアイススケートでの、全くの偶然。
 前回の話でも紹介したのですが、アイススケート体験も初めてならば、
 恋の浦野外アイススケート場に行ったのも初めてだったわけなんです。
 そこで、初心者の特権ともいえるのでしょうが、不思議と参加が義務づけられてしまう、
 全身の様々な部分を使っての、予測不可能な氷上のお掃除ボランティアというものを、
 繰り広げていたわけなのですが、他にも記憶に残っている光景というものがあるんです。

 1つは、リンク周囲のスタンドの一部を使い、見た感じで、何の番組かがすぐに判ってしまった
 地元のあるテレビ局の、ある番組の収録が行われていた事。
 ようは、初対面同士の男女が集まり、少しばかりの確認時間をへて、ちょっとした小道具を使用しながらの、
 公開形式の発表会というものが行われていたわけなんです。

 当時というのは、テレビに映ってやろうと野次馬根性が働いてしまい、撮影をしているカメラの中から、
 リンクの方を、映しているように見えるカメラに対して、自身を含めた3人で、
 さり気なく映ろうと、トライしてみた事があったんです。
 そのイベントは、冬休みに放送がされたもので、当然ながら、番組を録画しながら見た所、
 3人並んで、華麗にフェンスによりかかっている姿が、この3人にしか判らない、
 数秒間の映像として、見事に映ってましたね。

 もう1つというのは、小学生ぐらいだったでしょうか、フィギュアスケートを習っている女の子の姿なんです。
 テレビでしか見た事がなかった、フィギュアスケートですから、、素人で溢れかえる氷上の中では、
 別次元のスケーティングに、周囲からかなり注目されていた事を覚えています。
 他にも、そこにいた関係者の中で、氷上に体を傾け、アナログ時計の針のように、
 ぐるぐると円を描くようなスケーティングを披露する男子というのもいましたね。

 まあ、一瞬ですが、撮影用に番組のスタッフが呼んでいたのかとも勘繰ってしまいましたよ。
 なにせ、川口浩探検隊の演出に鍛えられてしまった世代ですから。
(2008.12.25)

●アイススケート。
●初めてのアイススケート。
◆先ずは、この体験話から紹介します。
 ちょうど今ぐらいの時期だったんじゃないでしょうか、学生の頃の冬休み前に、
 クラスの男連中6〜7人で、恋の浦・野外・アイススケート場へ遊びに行こうという話になったんです。
 当時、自身を含めた何人かは、この時が、はじめてのアイススケート体験だったわけでして、
 アイススケート初心者の中には、自身を含めて、高校の頃にスキーの体験があった者や、
 さらには、殆どの者が、小学生の頃に、ローラースケートで遊んでいたようですから、
 この時、アイススケートリンクで遊ぶ前までは、誰もが「余裕の、よっちゃん」などと、
 わけの判らぬ言葉を言っていたような気がしますね。

 思い返せば、完全に軽く考えていたもので、様々なオリジナルダンスから、前へ後ろへと受身を極め、
 ついでにポーズをバッチリ決めてのスライディング。
 さらには、打ち身と同時にアイシングもでき、おまけに、冬という季節をより深く実感しようと、
 着ている洋服をモップ代わりに本意ではないお掃除代行で、氷上のお湿りをいただくといった、
 玄人には真似のできないといいますか、素人にしか絶対にできない、
 氷上での連続大技というものを、ご披露しちゃってましたね。

 最初の方は、慣れがないまま、おどおどしながらのヘッドスライディングでしたが、
 帰る頃には、慣れたものの疲労が溜まって、上げている感覚なのに、実際には上がっていない足のため、
 予想外のヘッドスライディングといった感じでしたね。
 (「ウルトラマーン」や「ショワッチ・シュワッチ・ヘヤッ」そして、「パーマン」の3連呼など)
 経験者から、様々なリアクションでおちょくられてましたよ。
 まあ、初心者同士でも、おちょくりあってましたけどね。
(2008.12.21)

●電話に関連して。
●電話事業が開始された日だそうですから、
 電話に関する思い出小話でも、紹介してみようかと思います。
 そこで、ふと思い浮かぶ話が、いくつかは有ったのですが、今までに使用してきた、
 様々な電話機を思い出してみると、いがいと記憶に残っているものですね。
 今回は、20歳前後の頃だったでしょうか、家にかかってきた営業電話の思い出というものを紹介します。

 なぜ記憶に残っているかといえば、唯一、トイレの中で対応した、営業の電話だったからなんですよ。
 時間帯というのは曖昧なのですが、ある時、体に入った食べ物の最終形体と、
 お別れしたくなったもので、トイレの便座に座っていたわけなんです。
 トイレに入って間もなくの事だったのですが、電話が鳴り出したもので、
 自然と、家族の誰かが、その電話の対応に出る事に。
 すると、電話をかけて来た人のご指名が自分だったもので、トイレのドアの向こうから、
 大音量の呼び出しのアナウンスというものが、聞こえて来たわけなんです。

 そこで、トイレの中から、・「誰ねぇ〜」 すると、:「電話よぉ〜」
 続いて現状報告、・「今、トイレた〜い」 再び、:「電話よぉ〜」
 ・「誰からって聞きよろうがぁ〜」:「なんてねぇ〜」
 ・「だけんが、トイレって言い寄ろうが」:「なんって言いよっとねぇ〜、早く出らんねぇ〜」
 トイレからの返答に気づかないまま、どうやら、階段の下に行き、2階の部屋に向かって、
 呼び出しのアナウンスを続けているような感じに聞こえてましたね。

 そこで、ノックを加えて、・「トイレ中って言いよろうが」 すると、:「あぁ〜、こっちねぇ〜」
 ようやく気づいてくれたもので、再び質問。・「誰ってぇ〜」
 すると、:「何々とかいう女の人から」という返答。
 ・「そんな人しらんよぉ〜、また、どこかの営業やないとねぇ〜」
 そして、かなり電話の相手を疑いながらも、しぶしぶ電話に出る事に。

 最初の方で説明したように、体内に入った食べ物の最終形態とお別れすべく、
 便座に座っていたわけですから、当然トイレから出られるような状況ではなかったんです。
 そこで、トイレのドアを少しだけ開けて、電話の子機を受け取って、
 トイレの中から、電話の応対というものをする事になったんです。

 いざ電話に出てみると、予想どうりの、わけのわからない営業で、以前にも聞き覚えのある内容に、
 同じ所から、数回にわたって違う人が営業の電話をかけて来た事や、それを断った事を指摘すると、
 とぼけた様子で、反省などなく、疑わしいアピールを続けるもので、この営業者に対して、
 少しばかり指導というものをしたくなり、体内に入った食べ物の最終形態とのお別れを、
 音声のみで、実況中継してみた事があったですね。
 お下品なお話で、すいませぇ〜ん。
(2008.12.16)

●ふと思い出した授業風景。
●ノーベル賞授賞式をニュースで見ていて、
 ふと思い出した、数学と化学を担当されていたある2人の先生。

 高校の頃の記憶になるのですが、何年の頃に担当されていたのか、
 また、お名前すらも忘れてしまっている先生なのですが、
 懐かしい授業風景というものを思い出してしまいました。
 先ずは、数学の先生から紹介します。

 当時、この数学の先生の事を、他の先生が話してあったのですが、
 県内でも5本の指に入るような、数学の先生だったとのこと。
 「お前たちが教えてもらうには、もったいないぐらいの先生だぞ」
 と言われていたような覚えがありますが、レベルの低い自分たちからすれば、
 ただの数学の先生でしかなかったように記憶しています。

 しかし、今思うと、様々な数式を、自分たちが、少しでも興味が出るような感じにしようとして、
 実際の使用例を用いて説明し、難しかろうが、どうであろうが、語尾には「きゃぁ〜すかろうが」
 というフレーズが必ずつき、授業が進んで行くといった感じだったんです。
 そんなに得意ではない数学でしたが、拒絶しないように興味を持たせ
 、少しでも簡単に感じさせるような話術というのは、さすがでしたね。
 今でも耳に残るフレーズ「きゃぁ〜すかろうが」
 名前は思い出せませんが、インパクトのあるおじいちゃん先生でした。

 次に化学の先生なのですが、この先生の授業というのは対照的でして、
 とにかく、眠たくなる授業を繰り広げる先生だったわけなんです。
 その授業が始まるまでは、全く眠たくない状態でも、必ずといっていい程、
 意識が飛んでしまうといった、不思議な力を持った先生でしたね。
 授業中の話すリズムに、抜群の催眠効果というのがあったもので、
 催眠術師としての、天性の素質があったのかもしれませんね。
 ご本人も、まさかこんな所で話のネタにされているとは思いもしないでしょうが、
 まあ、とにかく、懐かしいの一言です。
(2008.12.12)

●重たいんだか、軽いんだか。
●この時期になると、立て続けにお別れする事になってしまった人との思い出が、特に浮かんできます。
 1年を通して、健康や病気に関する様々な内容の番組が紹介されているので、
 ここで説明するまでもないと思いますが、心臓に血液を送る血管が塞がれ、
 手遅れになれば、自身の人生の予定を、完全に奪ってしまう病、
 心筋梗塞。。
 生活習慣や、様々な外的要因が重なり、症状は進行していき、
 そして、人それぞれの感じ方がある症状の病と聞きます。

 そこで、立て続けにお別れする事となってしまった、自身の知った方で、本人を含めて、
 誰もが旅立つとは思っていなかった時期の、何気ない様子や言葉を思い出すと、
 長年の食生活は、まっしぐらに、血管を硬く狭くするものを好んでいたし、
 さらには、心労というのも原因だったように思います。
 そして、極度の疲労感や、肩のこり感、胃の辺りの、しくしくする痛みを、
 旅立たれる数日前だったか、数週間前だったかはっきり覚えていませんが、
 周囲の人に話してあった事を記憶しています。

 確か、1人の方は、職場の健康診断の結果が、数日後に出るからと、
 それを見てから、病院に行くかどうかを決めると言っていた矢先の事でしたからね。
 当時、あの電話が鳴り響いた時の独特の感覚や、その後、自身が連絡した先の相手が、
 少しの間理解できないでいる様子というものを思い出しちゃいました。
 特に今年は10数年の節目の年であり、お香アレルギーのお坊さんにも会いましたし、
 法事の何回目からか参加する事になった、幼かった子供たちが、
 いつの間にやら、元気に小学生となっている姿に、過ぎた年月というものを実感する事となりました。

 また、当時を思い出すと、小学生の低学年でしたが、同級生の女の子の間に、法事友達みたいな関係があり、
 「また、会おうねぇ〜」と再開を約束しながら手を振って別れる姿に、周囲の者は苦笑いしていた事や、
 この女の子の1人が、縁側を見ながら「あっ、おじいちゃん」とか言い出すもので、
 その場にいたものの視線が縁側に注がれた事もあったですね。
 結局は、縁側のガラスに写真が映り込んでいたという落ちだったんですけどね。

 そして、この時期に関連する事で忘れられない記憶といえば、
 手渡しする事のできなかった、[何々ちゃんへ]と、この女の子の名前の書かれた、
 準備されていたお年玉袋を、見つけた時の光景ですね。
 ほんと、時が経つのは早いですねぇ〜。
 今回は、心臓の栄養に関連する話でしたが、たまにこんな事を思い出すと、
 自身の心の栄養にもなるようです。
 [心]繋がりで、まとめてみました。

◆余談ですが、日記代わりの関連性のない独り言。
 昨日の朝は冷え込んだもので、自身の部屋にある暖房機器をこの冬初めて使う事になりましたよ。
 そして、録画して見ていないテレビ番組というのが、かなり溜まってきちゃいました。
 そこで、フレッシュルームコラムを書く時間を、録画空き時間の容量をふやす時間に
 使いたくなっちゃいますね。
 寝ながら見聞きすると、必ず内容が中途半端ですもんね。
(2008.12.08)

●不思議な感覚。
●アナログ時計とカレンダー
 12月ともなれば、イルミネーションと共に、頻繁に見聞きする事となる、
 今年を振り返る番組や、次の年を迎えるイベントの準備風景。
 さらには、この時期になると、お坊さんがらみのイベントも近づくもので、
 年単位での時間の流れというものを、特に感じてしまいます。

 そこで、いつ頃の事だったでしょうか、1年間の12の月を、アナログ時計の文字盤になぞらえ、
 自身のどうでもいい季節の感覚というものを想像してみた事があったんです。
 例えていうなら、1月というのが12時の場所に位置し、3月4月は、3時といった所で、
 5月と6月がそれぞれにずれて、4時や5時といった感じですし、
、7月8月は6時辺りときて、12月というのが11時と12時の間。
 そして、2月・9月・10月・11月というのは、文字盤通りといった感じですかね。

 少しばかり細かく言うと、行く年来る都市が12時ピッタリに感じられるし、
 雛祭や卒業式そして、入学式や、桜の花見は、3時なんですよね。
 お盆というのが6時ピッタリに感じる時もあれば、7時から8時頃に感じる時もあり、
 1年というものを考えながら、カレンダーの月を示す数字や、アナログ時計の文字盤を見ると、
 時より、どうでもいいような自身の季節の感覚というものを、アナログ時計に押し付けちゃってます。
 今回は、「だから何ですか」といった感じのくだらなすぎる話で終わります。
(2008.12.04)

●12月が始まりましたね。
●月初め早々からの独り言。
◆自身の気まぐれで始めたフレッシュルームコラムに関して。
 月末あたりに、2話づつぐらいのペースで、紹介をしていくつもりで、
 黒猫チャチャとの思い出の紹介を、2008年の7月後半から初めたのですが、
 11月の月末には、2話目の(続編12)が間に合わなかったもので、
 黒猫チャチャとの思い出(続編12)は、12月末に紹介する事にします。
 そして、今後の黒猫チャチャに関しても、月末あたりに1話づつの紹介にしていきます。

◆間に合わなかったという事に関連し、
 自身が乗り遅れていた流行語。
 夕方のニュースをみていると、今年の流行語大賞というものが紹介されていたんです。
 その1つの(アラフォー)を耳にした時、全く聞き覚えがない言葉だったもので、
 思わず、どんな意味の言葉なのかを、聞いてしまいましたよ。
 まあ、どこかで耳にした事はあったのかもしれませんが、
 知らなかったところで、何の影響もなかったんですけどね。
(2008.12.01)

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