2019年08月のコラム

●いつぞやの1コマ。
◆テレビCMの日ともいった28日水曜日。
・本邦初のテレビコマーシャルは昭和28年のこの日。
 服部時計店が、腕時計の中身を見せつつ時報を伝えるというものだったらしいも、
 手違いでフィルムを裏返しにしてしまい3秒程で終わってしまったとも聞く、

 若き頃初めてブランドものの腕時計を買ったのが精工舎だったらしい、
 今や修理代の見積もりに、新たなお手頃な物であればと考え直す、
 思い入れのあるんであろう腕時計話も耳にしたいつぞや。

 そんな具合で時を巻き戻せば、
 確か現地じゃ、時間を追った目撃談で賑わっちゃってたと聞く、
 いつぞやの放送日に、その全国番で紹介されてた帰省地ロケ話だったでしょうか。

 ふと耳に入って来てた温泉屋さんの名と
 見てた者の、「あら〜入り口の看板が無くなっとる〜」ってな声に、
 あぁ〜そういやぁ〜こんな感じのお風呂やったっけねぇ〜ってな具合で、

 当事の光景やら感覚なんてのを、暫し浸らせてもらっちゃってた、
 ありゃぁ〜、小学1年か2年頃の、帰省した初日の、
 車だったり歩いたりでの、その頃よく利用してた温泉。

 向こうはまだやろうねぇ〜ってな具合で脱衣所を出ると、
 何気に視線の先に飛び込んできちゃってた、
 自分が歩いて通る分には問題の無かった、その玄関先の看板の脚の間から見える、
 屋外で賑やかに遊ぶ、その身内女性群の姿というものに、
 履物履くなりの、反射的な全力疾走。

 数秒後には、おでこへの看板ラリアットやら、
 コンクリートへの勢い加勢型バックドロップをご披露し、
 おばちゃんからのプレゼントは、枕元にお預けくらっての、
 代わりのアイスノンサンドイッチ ってな、
 帰省早々の寝込み話になっちゃってたわけなんですよね。

 とにかくあの時のおでこの方は、なかなかのゴツンってな感じでしたが、
 後頭部の方は、更に強烈過ぎて柔らかさすら感じちゃってたという、
 あの温泉といえば、このバッティングエピソードってな、
 懐かしき、駆け出し大当たり〜お風呂エピソードでしたもんねぇ〜。

 そんなこんなで、気象予報士の日ともいったこの28日、
 昨晩もなかなかの雨量でしたが、降水確率100パーセントってなものも初耳的で、
 未明から明け方にかけて、九州北部の福岡、佐賀、長崎では、
 線状降水帯が形成されてしまい、一時、大雨特別警報も発表され、
 約35万5千世帯に避難指示が出されてたようでしたね。
(2019.08.28)

●付け足し。
◆川柳発祥の日ともいった25日の日曜日。
・それらしき響きでも、さらぁ〜っというか、こってりというかで、
 ってなわけでの付け足し干支川柳。

2019年 新年
 亥の一番 元気伺う あっぷっぴゅ
 もっちもち 亥の子祝いの つんつくつん
 猪八戒 月へ奏でる エアピアノ
 裏ボタン 不器用演じ 祭り縫い
 一本気 沼田場の英気 まっしぐら

2018年 年の瀬
 合わさる手 ハチ公前の ウンチャッチャ
 うり坊も 子犬もワルツ ワンダポー
 狗吠緇衣 卍固めに 糞説教
 炉開きと 茶の湯持て成す 天狗面
 猪鹿蝶 にじりにじられ 鼻合わせ
 犬一代 煩悩の犬 尻のぞき
 お座りと 亥の目ぎらめく 石灯籠
 遠吠えに 給仕猛進 むしゃ返し
 掛違う おかわりの手の 椀子そば
 夢現 弾むボタンに そばたくり

◆今年は令和元年ともいった皐月の初日の水曜日。
 ってなわけで、あの時点で待機中だった新たな年のものを交えての、
 十二支順 令和新年干支川柳。

 惚れ散らす 鼠小僧の ビビビのビ
 御利益の 層なす手垢 牛の像
 人呼んで 寅の口上 市虎三伝
 脱兎山 羽る兎の 登り坂
 あごの筆 竜飛鳳舞や 艶乗せて
 干支笛に 呼ばれつぼ出てジャジャジャジャーン。 
 願いしょい ペガサスきらめく 流星群。
 ひつじ雲 ほんわかほんわか ほんわかほい。
 空仰ぐ 壱岐な猿岩 お〜り〜やぁ〜。
 揚々と 磨きし翼 はためかし
 狛犬も 庭駆け回る ポチ袋
 もっちもち 亥の子祝いの つんつくつん

◆平成時代の大晦日ともいった30日の火曜日。
 平成年の瀬干支川柳。

 汗拭う チュッパチュッパの 品評会
 道草や 丑は丑連れ 世は情け
 禅問答 虎渓三笑 一休み
 ランドセル 歩く姿や 成人と
 幻月や 辰の洗面 吐息満ち
 絵馬の上 寝相にょろにょろ 枕投げ。
 群れる雲 天馬空駈け さくら染め。
 雲海へ 午前0時の メリーゴーラウンド。
 目も踊る ミスタモンキー ヘローヘロー
 羽伸ばし 羽音残して 羽休め
 合わさる手 ハチ公前の ウンチャッチャ
 踏み出せば その道の果て 水平線
(2019.08.25)

●いつぞやの酒の肴。
◆交通信号設置記念日ともいった20日の火曜日。
・ありゃぁ〜20代頃の最寄駅。
 半ドンの帰宅時に、電車を降り、乗り継ぎのバス停へと向かうべく、
 前後左右と人が交差する中で、何気に道を渡ろうとしてたらば、
 気が合っちゃってたというかなんというかで、
 横切る1組との阿吽の呼吸がマッチせず、

 「ああ〜」ってな体感に、反射的な両手支えで
 片手の方が、「ああ〜」ってな事になっちゃってたという、
 講習の面前での鷲掴み。

 そんなこんなで、互いに顔を赤らめるようなそんな光景を、
 一緒に歩いてあった、自分と同世代ぐらいの娘さんらしき人から、
 くすくすと笑われちゃってたという、

 逆だったらば、両方からはったおされちゃってたかもなぁ〜ってな、
 目の前のバス停でのバス待ちの、まぁ〜長かった事〜ってないつぞや。

 そんな酒の肴話というかおつまみ話というかで、
 当時は信号1つない、景色のかなりの割合が田んぼだったという、
 最高速度は40キロ少々が限界だった、ママチャリ使用時の
 家から最寄駅までの、3キロ少々といった、
 高校時代のそのサイクリング話でも改めてみちゃえば、

 とにかくよく覚えていますが、無風や追い風が、数えるぐらいしかなかった上に、
 通学時や帰路時の風向きが、見事に変わってくれちゃってたというか、
 風の強弱はあるものの、ほとんどが向かい風だったという、
 いわゆる皆勤賞サイクリング時の、ある晴れていた日の朝の事。

 自身にとっての、休息ポイントに差し掛かり、
 ようは、視線の先に誰もいなかったもので、
 当時の学生だったら、だいたいの者が耳にした事があったんじゃないかといった、
 その時に流行っていたある歌を、
 うろ覚え状態ながら、のりのりで歌っちゃってた時の事なんですよね。

 自身にとってのペースアップポイントが近づいて来た頃、
 その歌の曲名にもなっていたフレーズの所が、シャウトっぽくなった瞬間
 片手で口を隠しながらも、大爆笑しつつ、自分を追い越していく1人の女子高生。

 「あちゃぁ〜」といった感じで、思わず後ろを振り返っちゃってた中、
 更には、その追い抜いていった女子が、自分とは逆に、
 ちょっと先で休息ポイントみたいになってしまい、
 「このペースじゃ、電車に間に合わないよなぁ〜」、

 「だけど抜き返したくもないよなぁ〜」と言った感じで、
 少しばかり躊躇はしたものの、追い越しざまに照れ笑いでも浮かべながら、
 じわじわ距離をつけた所で、フルパワーへとギヤチェンジしてたという、
 不意をつかれてた自転車通学路 ってなものでもよぎらせてみちゃえば、

 そんな時代の下校時に、
 自転車で挑んでみちゃってた、後方のダンプカーってなものなんかも、
 次いでとばかりに、更に再び絡めてみちゃいますと、

 当時は信号1つなく、景色のかなりの割合が田んぼだったという、
 そんなコースも半ばを過ぎた辺りの、道幅の狭い両サイドが田んぼ区間といった、
 その見晴らしの良いまっすぐな道の、残り3分の2といった所だったでしょうか。

 後方からダンプカーが近づいてきている事に気がつき、
 真横を通られたくはないと、時より後方のダンプの位置でも確認しながら、
 その道の左側の白線内を、
 フルパワーで突っ走ってみてたというようなわけなんですよね。

 そうした所、アスファルトの欠けてたポイントをよけそこねてしまい、
 数メーター前方には、見事に切り立ったアスファルト、
 左側は、数メーター低い位置にある田んぼへとダイビングできてしまえるという、
 それなりの、究極の2択話みたいな展開になっちゃってたというようなわけで、

 とにかく、タイヤが擦れる右横の舗装路に上がろうとするも
 どうにもならず、ブレーキも間に合わないといった状況で、
 スローモーションのように近づいて来る、前方の切り立ったアスファルト。
 田んぼへのダイブか、ダンプの前へのダイブか、うわぁ〜どっちもいやだぁ〜。

 そして迎える事となってた、それなりの究極のダイビングってなわけでして、
 意識的に選んでたわけではなかったものの、
 ダンプのちょっと前方に、ヘッドスライディング。

 幸いにも、ダンプのブレーキが間に合ってくれてたもんで、
 見事な擦り傷だけですんでたという、
 取りあえず無事だったからこその、笑い話になっちゃってるというような、
 ばかたれ競走エピソード。

 まぁ〜改めてその頃の事でも思い返せば、
 見晴らしの良い道ではありましたが、
 「だいたい、落ち着いてよめんやろうもん」、
 「家に帰ってから、ゆっくりよみゃぁ〜いいやない」といった具合で、

 ペダルを漕ぎながらのその帰路に、
 思ってもやるかぁ〜というか、器用というかなんなんだかで、
 買った週刊誌を、すぐにでも読みたいと、
 会話もしつつ、キョロキョロ忙しそうに読んでた者とかもいたわけで、

 1人の下校サイクリング時にも、案の定やらかしちゃってたようでして、
 登校時の車両内で、思わず声も出る、
 見事なカサブタを見せられるはめにもなっちゃってたんでしたよね。

 そんな物とのいつぞやの人工スキー場からの帰路時の高速道でしたか、
 運転手の一言に後ろを覗けば、
 煽ってるっぽい走り屋風が1台、
 走行車線ではしゃいでくれちゃってると、ボン〜カタカタカター。

 「何の音や〜これぇ〜」とキョロキョロしてると、
 車窓になびく何かに、
 運転手の「あぁ〜スノーボードを止めてたやつが1つ外れたごたぁ〜」、
 「はぁ〜まじでぇ〜」。

 「1つぐらい外れても大丈夫〜大丈夫〜」ってな具合で、
 急にというか当然というかで、
 これでもかってなぐらい車間を取り出した、抜くに抜けずの、
 その背後の煽り屋風でも眺めさせてもらいつつ、

 幸いにも何事も無くというか、
 見事なタイミングで外れたもんやなぁ〜ってか、
 ちゃんと止めとけよなぁ〜ってな感じで、
 サービスエリアに寄らせてもらっちゃってたんでしたよねぇ〜。
(2019.08.20)

●時の滴。
◆令和最初の終戦の日ともいった15日木曜日。
・台風10号の接近による、終戦の日の行事への影響も耳にする中、
 記憶の継承の難しさも耳にして久しい、
 今年は、2019年、令和元年の、
 戦後74年目といった終戦記念日。

 あれは中学時代でしたか、当時はあまり意識してなかったというかで、
 何をしてたんだかでの、学校の正門辺りにいた際に、
 1人の御年配の男性から不意に尋ねられてた、
 「この辺りに慰霊碑があるとお聞きしたんですが」。

 「慰霊碑〜、ああ〜あちらの事ですかねぇ〜」
 「ああ〜、ありがとうございます」といった感じで、
 定年後、全国の慰霊碑を訪ねられてたような雰囲気察する、
 そんな後ろ姿を暫し眺めてた光景ふとよぎる、中坊時代。

 この時期になると、ここ最近というかここ数年、意識的に耳にしている、
 帰省時に、当人からはそうは耳にしなかったよなぁ〜ってな、
 どちらが真意なのかなぁ〜ってな事なんかもふとよぎる、
 いろいろと耳にしてきた、その時々でテンションの異なる同系統話。

 ラジオを聞ける所が限られてたという当時、
 新米教師だったという2人へ、
 校長に今から聞きに行くよう言われ
 1学年後輩の同僚さんを伴い、
 務めていた学校そばの、何と行ってあったかのお店へと急ぎ、
 受信状況が良くない中聞いてたらしい、玉音放送。

 そんなこんなで、
 後輩の、こう言ってたんじゃないか、こう言ってたはず、こう聞こえた、
 そうかねぇ〜ってな具合で、聞き取れぬ所の解釈での
 当時の異なるテンション話を聞かせてもらってた事でも、
 この時期になると何気によぎっちゃってるといったところでしょうか。

 そんなこんなの前日14日には、
 台風による早まるお盆休みのUターンラッシュ光景や、
 新潟県上越市で、今年の最高気温となる、
 40.3度を記録したとも伝えられてましたねぇ〜。
(2019.08.15)

●山の日。
◆がんばれの日ともいった11日の日曜日。
・立体日本地図を時より撫で回し、山の名を感じさせてもらってる中、
 地元の方じゃなかったんであろう、天拝山感覚で、
 宝満山へ行ったらしくての、へろへろ話で笑わさせてもらっちゃってたいつぞや。

 登山といえば、目的地が山頂で、最寄の駅まで交通費実費で現地集合といった、
 どこかのクラスなんかは、登山道をチョイスさせられてたようにも思う、
 車道がほぼ山頂まで続いている、その山のその舗装された道を行きも帰りも使い、

 そして、その山頂で弁当を食べて、集合場所の最寄の駅まで帰ってくるといった、
 自分たちからしてみれば、「ただの山登りだろう〜」と愚痴ってたというような、
 年に1度実施されてたようにも思う、遠足と言う名のイベント。

 そんなこんなで、
 制服からジャージに着替え、これって余計な荷物だよなぁ〜と
 集合がかかっての一先ず整列。

 遠足と言う名の山登りみたいなものが、集合場所の最寄の駅からいざ始まると、
 ある意味で、暇つぶしも兼ねてたとは言えるんですが、
 クラスの中の気の合う連中6〜7人で、じゃんけんに負けた者が、
 決めてた数の電柱区間を、それらの荷物を抱えて歩くといった、

 自分の荷物を他人に持たせて少しでも楽をして山を登ってやろうといった、
 それぞれが自分が負けた時の事など、まるで考えちゃいないというような、
 荷物もちじゃんけんゲームといったものを堪能しながら、いざ山頂へ。

 電柱の数をどれぐらいにしてたかなんては思い出せはしませんが、
 そのコースの最初の方は、駅周辺の住宅地だったもんですから、
 じゃんけんに負けたとしてもたいした事はなかったものの、

 道に傾斜が付き出す頃には、荷物を持ってなくてもそれなりの疲れを感じ出し
 更に進めば、家は疎らになり、
 電柱の数も住宅地を通っていた頃が懐かしめちゃうといった感じで、

 最初の頃は、誰もがそれなりに余裕があったもので、
 ただ笑っていただけの連続負けにしてみても、
 疲労と共に自然な流れで、新ルールというのが生まれ出し、

 続けて運ぶ事がないようにと、1回休憩ルールが、異議なしで付け加えられると、
 更には、道沿いにあるミラーや標識といったものも、
 その後、これまた異議なしでルールが変更され、カウントされるといった具合で、

 「だいたい、これは遠足っていわんやろう」と言った生徒の主張には、
 「登山道でもない、車も通れる普通の道は、散歩に毛のはえたようなもん」と、
 先生の1人に、さらぁ〜っと言われちゃってたという。

 そんな、荷物もち・じゃんけんゲームに真っ最中だった時の光景と、
 渋渋ランチを満喫してた、山頂での光景というものをよぎらせていると、
 ブラバン部の者の、ちょっとした光景を思い出しちゃってたわけで、

 その部の顧問が、おそらく言い出してたんであろう、そのある事とは、
 《青空のもと、山の上の芝生の斜面に座り込んでの、管楽器による演奏》。
 おそらくは、外国の高原・民族衣装・ホルン、といった、
 何となく想像ができてしまう光景。

 ブラスバンド部に所属していた、手に持って歩けない事はないぐらいの、
 管楽器担当の部員たちというものが、
 余計な手荷物までもを、運ばなくてはならなくなってしまってたわけで、

 結果的には、管楽器回収運搬車が、途中あたりで姿を現し、
 自分のクラスで該当していた、何人かのブラスバンド部員も、
 取りあえず、ほっとしていたような感じでしたが、

 自分たちなんかは、このくだらない暇つぶしを途中でやめようにも、
 最後が自分というのは、なんかむかつくと、
 結局の所は、ヒーヒー言いながらも、この荷物もち・じゃんけんゲームを
 渋渋ランチポイントまで続けちゃってましたもんね。

 そんなわけで、どうにかこうにかして、山頂へと辿り着くと、
 その時の目的地での唯一の楽しみである、
 渋渋ランチでも取りあえず味わってたというわけなんですが、

 目的地到着後の話しとしては、
 食後の、一般生徒のくつろぎタイムというものに、
 ブラバンの演奏が、さりげないBGMになっていたというわけでして、

 屋外球技系の部員なんかは、食後のちょっとしたクラブ活動というもので、
 休憩時間が終わる頃には、へとへとになっちゃってたという光景なんかも、
 ふと思い出せちゃうという、

 山を降りる際の、帰り道の最寄の駅までの話なんてのは、
 ほとんど覚えちゃいないというような、
 各自、最寄の駅まで交通費実費で、現地集合の、散歩の毛ってな、
 遠足という名の山登りだったですもんねぇ〜。

 そんなこんなのこの11日、
 第101回全国高校野球選手権大会6日目、第1試合開始前に、
 今大会初となる「満員通知」も伝えられてた中、
 地元太宰府、筑陽学園の初戦ともなってた作新学園との第1試合。
 いきなりNOアウト満塁のピンチに最少失点で声も出ちゃうやら、
 2点を追う9回の同点打には肌も泡立たせてもらっちゃうやらの俄もん。

 前日の10日には、
 お盆の帰省ラッシュも本格化する中、
 国後や択捉への、
 3回目となる北方領土への空路墓参も伝えられてましたねぇ〜。
(2019.08.11)

●そろばんの日。
◆ひょうたんの日ともいった8日の木曜日。
・発酵食品の日とのことでもあればの、
 当時迎えてた一区切りへの記念の品にでもなればなぁ〜と
 その当時の受付最終日に初応募してみてた、
 唯一過ごす事となってた、黒猫のチャチャの初帰省時の際の、
 急須で熟させてた、懐かしき茶話、五 七 五。

 ああ〜そっかそっか〜ってな、その数か月後の結果通知に、
 そっか〜そっかぁ〜なら〜我がで味わうまでかぁ〜と、
 募集先に一往の確認の電話を入れての、
 もったいなぁ〜もったいなぁ〜、一供養〜一供養〜ってな感じで、

 客間のチャチャに、茶の間のじいちゃんの、
 最初は、「おい ちゃぁ子」だったものが、何度と口にしないうちに、
 「おい ちゃ子 こっちゃこい」となり、終いにゃぁ〜、
 「おい ちゃぁ〜」ってな短縮フレーズになっちゃってたもんですから、

 キッチンのばあちゃんの、
 「はぁ〜お茶ってねぇ〜」、
 茶の間のおばちゃんの、
 「ちがうちがう、チャチャの事ばいいよらすったい」ってな具合で、

 ばあちゃんの、
 「おい ちゃぁ〜ってね〜、紛らわしいねぇ」、
 その場に居合わせた親類一同の、
 「ほんとやねぇ〜」ってな一笑いやら、

 「おいチャー〜って、あれのごたるねぇ〜」、
 「あれって今年もありよるんかねぇ〜誰か応募してみたらぁ〜ってな
 1990年代前半の帰省先光景。

 そんなこんなで年月経ての、
 どっちが招いてたんだかってなチャチャとじいちゃんに、
 ふと浮かんでた魔女の宅急便の、黒猫のジジ、とか

 茶の間を一盛り上がりさせてた発酵茶話を湯呑みへ ってな具合での、
 八十八夜だとか、ババ、母、パパ、やや、
 パチパチってな手を叩く音連想ってな88での、

 おいチャーと 手招くジジに 88沸かす
 (おいチャーと てまねくじじに ばばわかす)
 招きジジ 沸かす88叔母 注ぐ古茶
 (まねきじじ わかすばばおば そそぐこちゃ)
 といったわけでの、思い入れたっぷりってな川柳を作ってみてたんでしたっけ。

 そんなこんなで、
 一昨昨日の5日頃に耳にしてたというかで、
 1977年全米女子プロ選手権 樋口久子さん以来という、
 笑顔のシンデレラ 渋野日向子さんが、
 海外女子メジャーの今期最終戦 AIG全英オープンの最終日4日に、
 日本勢42年ぶりとなる快挙 、
 メジャー初出場初優勝を達成してたようですねぇ〜。
(2019.08.08)

●チャチャまんま。
◆はちみつの日、はさみの日ともいった3日土曜日。
 ってなわけでの、以前の住まいで唯一過ごしてみてた黒猫、
 チャチャの食卓話でも切り取ってみちゃえば、
 とにもかくにも、名も無き黒い子猫として、勝手口から飛び込んできてた際の、
 その出会いの朝の食事光景に始まる、印象に残る光景 数知れずというか、
 ある意味で毎日の事なもので、
 印象に残ってない事の方が多いとも言えるのかもしれない、
 チャチャまっしぐらってな、食い意地チャチャの食事関連エピソードなわけで、

 取りあえず、今まで触れてみたものでも、ざっと上げてみるならば、
 出会いの朝食を含めての、勝手口がらみの、ホワンホワン感泣お食事光景だとか、
 その出会いの朝に初めて口にしてたからなのか、なんなのか、
 魚の中でも好物の1つになっちゃってたという鯵の開き。

 それから、寝床が脱衣所となってからの、足元纏わり付き、
 キッチンおねだり、「あたぁ〜」、「ああぁ〜ごめんごめん」だとか、
 1番配膳での、挨拶がてらの、満足 満足や、
 夕食事での、運つけとばかりの、
 背筋も伸びる、食卓すりすりニャンニャンマーキング。

 更には、2度やらかす事は、3度目もやらかしてくれちゃってたかぁ〜といった、
 水も滴る困ったちゃんの玄関屋根でのチャチャキャッチャーとかもあれば、
 おかずの残り以外で初めて口にしてたという、
 いただき物のドッグフードがらみでの なんだかんだ。

 そして、好物の鯵でも、お口には合わなかったらしい、魚の煮付けの事だとか、
 その後も何度か味わうはめになってたというかさすがの食い意地チャチャも、
 満喫しすぎて、ご遠慮モードになっちゃってたという、
 食後の高級デザート、ゲボゲボシロップや錠剤といった所でしょうか。

 そんなこんなで、猫は猫舌というぐらいの認識の中で、
 最初の夏なんかには、冷やしてやろうと氷でも浮かべてみてたところ、
 いざ眺めてみてたらば、味見程度で顔を上げ、不気味そうに手でつつき、
 暫く経ってから姿を見せ、ぬるまって薄まった牛乳を味わってたようでしたし、

 「わざわざそんな所の水をのまんちゃさぁ〜、
  だいたい水は飲めるようにしとろうが〜チャチャー」といった具合で、
 玄関先に溜まってた雨水のテースティング光景にも遭遇し、
 「お味はどうやったねぇ〜」と思わず突っ込んでしまってた事なんかもあれば、

 天寿を全うしてたんだろうかのセミをチャチャが居間に持ち込んできてた際の、
 何を思ってたんだかの試食タイムが、家の者たちの前でご披露されてしまい、
 想像を超えるなかなかのお味だったんでしょう、一口で試食は終了し
 更には、器に入ってた牛乳での早速のお口直しになっちゃってたもんですから、

 そんな、判らないではないけれどといった行動に、
 「お子ちゃまには、大人の味やったっちゃろうねぇ」だとか、
 「かじりかけのセミを置いていくなチャチャー」などなど、
 それぞれにつっこませてもらっちゃってたわけなんですよねぇ〜。

 そんなこんながあった中で、
 チャチャが特に好んでたメニューというものが、
 鯵のひらき、煮出し後の あじご、エビの尻尾だったんですよね。
 そのため、このいづれかがメニューだったりしようもんならば、
 「見てんね あの鼻〜」だとか、「おぉ〜い、女の子って事忘れてないかぁ〜」、
 といった具合で、尋常でないノーズリアクションやら、ペロペロコラボで、
 家の者たちを笑わさせてくれちゃってたというようなわけでして、

 「えぇぇ〜猫ってそうなんかねぇ〜、チャチャがへたくそなだけなんかねぇ〜」
 といった感じで、何事もなく、美味しそうに食べてたエビの尻尾に対して、
 魚の小さな骨は、見事に、「あはっ、あはっ」だったもので、
 「おかずの残りでも、骨を取ってやらないかんのは、めんどくさいねぇ〜」
 だとか、

 「はいはい、ちょっとまってんね、骨取ってやりよったい、
 すぅぐ、咽に引っ掛けて、あはっあはっ言うくせしてから」、
 「はぁい、ほら〜」、「あはっ あはっ」、
 「あらっ、まだ骨がのこっとったね、ごめんごめん」などなど。

 まぁ〜そんな流れで、
 鯵のひらき、煮出し後の あじご、エビの尻尾といった、3種の好物の中でも、
 新たに、面白いリアクションエピソードを残しちゃってたのが、
 味や香りも去る事ながら、食べやすさもあったのかなぁ〜といった、
 煮出し後の あじご。

 そんなこんなで、どの時間帯だったでしょうかねぇ〜
 1人の家の者が、自身の部屋からチャチャを抱えて居間へと来るなりの、
 その状況話で、居合わせた家の者たちを、
 これまた笑わさせてくれちゃってたわけなんですよね。

 ようは、その時の1回ぽっきりだったという、
 当のチャチャは、うっとりお目目だったんだか、ニヤニヤお目目だったんだか、
 「何がしたかったんやろうねぇ〜」といった、その状況話というのが、
 その者が、生臭さで目を覚ますはめになっちゃってたというような話でして、

 目を覚ますなりの生臭さに、「くさぁ〜何これぇ〜」と、
 視線で周囲を伺えば、横になった時には部屋にはいなかったというチャチャが、
 枕の上に上がりこんでの、寝息ならぬ、意図的な、「フハー フハー」
 だったという、

 単純に、「あぁぁ〜、美味しかったぁ〜」と、大好物の余韻に浸ってたんだか、
 いい香りでしょうといった、香りのお裾分けだったのかなんなのか、
 とにもかくにも、くちゃ子とからかってた者へのサプライズだったが故に、
 余計に面白かったという、チャチャの生臭吐息話、
 ってのも懐かしめちゃえるわけで、

 この者の後日話なんかによれば、
 メニューにエビフライなんかがあろうものなら、
 その尻尾〜おくれぇ〜と肩に登られてたらしいやらで、
 見事に釣られる姿に、おちょくって遊んでたらしいやら、
 当然の如くの、サクラエビにも鼻をフンガフンガだったらしい付け足し話やら、

 当時耳にしてたという、
 「ちょっとまってんね〜、まぁだ冷めてないってぇ〜」、
 あんたは猫舌のくせに〜ってな、すりすりミャーミャーでの、
 1番配膳で、焼き立ての鯵の開きにかぶりつき、
 「あはっ あはっ」やら、「ハフハフハフハフ〜」やってたらしい、
 絵浮かぶチャチャの食卓光景なんてのも、思わずというか、何度でもというかで、
 よぎってしまえば、鼻膨らまさせられちゃってるといった所でしょうかねぇ〜。
(2019.08.03)

●8月ですねぇ〜。
◆花火の日ともいった葉月の初日の木曜日。
 およそ1年前となる翌月でしたか。
 同級との世間話の中、来年は職場の屋上での花火見物に、
 お子ちゃまを初めて連れて行ってみようといった、
 そんな話を耳にした数日後に伝えられる、
 その大濠花火大会今夏限りでの終了に、
 吹き出させられちゃうやらの、後日に一笑い。

 あれは〜20代前半の頃のお盆時期、
 15日昼頃に県外にある里から、当時住んでいた自宅へ帰って来てたもので、
 ならばと、地元の花火大会に行けそうな者がいないか、
 遊び仲間に電話したところ、

 里帰りしている者や旅行中の者ばかりでつかまらず、
 そこで不意に思いついたのが、
 自宅からは花火が少しだけ欠けて見える微妙な位置関係に、
 1度はやってみたかったという、自宅2階の屋根からの花火観賞。

 夜になり、花火の開始時間が近づき、
 ティーシャツにタンパン姿、そして1階にあるサンダルを2階に持って上がっての、
 ビールとつまみをウエストポーチにつめ、いざ2階の屋根へ上がる事に。

 先ず、2階の部屋の窓から出て、1回の屋根へ、
 次いで窓の庇に上がり、それから2階の屋根へ、
 庇よりも2階の屋根の方が出ているもので、少し緊張しながらも、
 体を反らし、2階の屋根をつかみ、無事に上がる事に成功。

 一先ず満足するも
 ウエットティッシュを忘れたぁ〜ってな具合で、
 そのままの手でつまみは食べられず
 結局の所、ビールだけを飲む事に。

 時間となり、花火が上がり始めたのですが、ある意味でビックリ、
 2階の部屋から見える花火と、そんなに変わらなかったんですよねぇ〜。
 最初のうちは、ぶつぶつと独り言でもこぼしながら見ていたように思いますが、
 初めての2階屋根での花火観賞に満足しつつ、
 そして、いつのまにやら蚊にも献血され花火大会が終わる事に。

 さっさと部屋に戻らねば、見物客が家の前の道を通ると思い、
 屋根に上がった場所から急いで下りようと庇を確認。
 2階の屋根に上半身をしっかり残した状態で、屋根の端に手を置き、
 下半身をゆっくりと2階の屋根の外に垂らし、庇を足先で探る事に。

 簡単に下りれる予定だったのが、これがなかなか足先に触れないんですよねぇ〜、
 頭では、屋根の方が庇よりも出ているという事を理解していたんですが、
 どんなに足を動かしても、まったく庇を触れられないんです。

 暗いうえに屋根は瓦だし、それなりの高さと傾斜があり、
 飛び降りるには、危険だと判断してたもので、
 2階の屋根から下りたくても、下りれない状況になっちゃってた中、

 時間が経つにつれ、あせり出すやら、疲れてしまうやらで、
 なぜ2階の屋根なんかに上がってしまったんだと、ひたすら後悔。
 すると遠くの方から聞こえ出してきちゃってた、家族連れの楽しそうな声。

 非常にまずい状況ってな展開に、このままでは下りれないと、
 庇の位置を確認すべく、一旦下半身を2階の屋根へと戻し、
 屋根の端から、頭を出して覗いて見ると、
 下りようとする位置に、ちゃんと庇はあるんです。

 下りる位置に関しては、間違いない事を確認したもので、
 急ぎ、再度チャレンジするも
 不思議と足先に庇を触れられないんですよねぇ〜これが。

 もたもたしているうちに、どんどん近づく家族連れの声、
 更には、様々なグループの声も加わりだし、
 次々と近づいて来ているような気配に、
 飛び下りる事ができぬままどんなにあせっても下りれない状況。

 そんなこんなで、見られる前に、必ず下りられると足掻いた結果、
 2階の屋根にしがみつき、足だけがもがいているような、
 何ともいえない姿を数グループの人にご披露しちゃってたんでしたっけ。

 そんなこんなで、前月となる前日の31日には、
 日本列島の梅雨明け完了ともいった、
 東北北部の梅雨明けも伝えられる中、
 一昨日の30日には、
 北海道の旭川で観測史上初めてとなる、最低気温25.0度の熱帯夜とか、
 札幌では2014年8月4日〜5日以来5年ぶりともいう、
 前夜に続いての観測史上3回目となる熱帯夜、最低気温27.4度。
 そして、東北南部の梅雨明けはこの30日のことでしたねぇ〜。
(2019.08.01)

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