2019年10月のコラム

●揚々と ダイヤモンドの 鷹が舞う。
◆電信電話記念日ともいった23日の水曜日。
・2000年のON対決以来19年ぶりの顔合わせとなった日本シリーズも、
 今月の19日に地元福岡で幕を開け、
 舞台を3戦目から東京に移してのこの4戦目に、
 地元球団のソフトバンクホークスが、
 南海、ダイエー時代を含めた10度目となる、令和初の日本シリーズの優勝、
 並びに3連覇を達成してくれてましたねぇ〜。

 そんなこんなで、
 初戦から4連勝は、2005年のロッテ以来14年ぶりとも、
 3連覇は1992年の西武以来27年ぶり4球団目とも、
 ソフトバンクホークスが日本シリーズでセ全球団に勝利とも伝えられる中、

 この2019年は福岡移転からも30周年とも耳にすれば、
 あのころは〜ってな感じで、
 平和台球場時代の、ファン感謝祭光景ってのも、ふとよぎる、
 何も考えずに座ってた席での、
 頭の上で吹かれちゃってたトランペットやら、
 双眼鏡を貸せばハニーズばかり眺めちゃってた連れ、などなど、
 平和台の頃の光景だとか、出来立てドームの早朝観賞、
 おのぼせさんの球場観戦話、初優勝時の薬玉ごしの画面参加。

 そういやぁ〜あるおばあちゃま話でも触れてた頃の、
 「はいぃ〜?」と思わず聞き返す、「誰々さんでしょう」ってな、 
 まさかねぇ〜ともいった心当たりある名の、いきなりの電話に、
 当たり触っちゃってた事知るいつぞやとか、

 御年配の方から耳にしてた、
 平和台の頃の終盤回の割引き観戦やら木登り観戦、
 なぁんてのでもふとよぎらせちゃいつつ、口にするのは簡単なんでしょうが、
 季節の風物詩とも年中行事ともなってくれちゃう事を
 一先ず願うばかりといったところでしょうかねぇ〜。
(2019.10.23)

●今年限りの祝日。
◆「即位礼正殿の儀」が行われた日ともいった22日の火曜日。
・世界約180ヶ国、国内外の賓客約2000人が参列される中、
 天皇陛下が自らのお言葉で国内外に即位を宣言された、
 その中継時の説明に足音も印象に残る、即位礼正殿の儀。

 前夜などは、改元時の特番を見入るというか聞き入るというかで、
 あの日の早朝の上空を、数機のヘリコプターが旋回してた光景もよみがえる、
 大宰府政庁跡では、約1500人を集めての人文字でしたっけ。

 そんな地元太宰府では本日より
 新元号「令和」ゆかりの地ともされる坂本八幡宮の最寄り駅、
 西鉄の都府楼前駅に、西鉄の駅では初めてという副駅名、
 「令和の里」といったことも伝えられてましたねぇ〜。
(2019.10.22)

●統計の日。
◆冷凍食品の日ともいった18日の金曜日。
・「あら〜確かこないだも乗せてもらわんやったですかねぇ〜」、
 「何曜の何時頃は声がかかると思って近辺をうろちょろ走ってるんですよ〜」、
 「なるほどぉ〜」ってな一笑み浮かぶ、いつぞやの懐かしきタクシー内でしたか。

 ドライバーさんからすればお得意様といった、
 同乗させてもらってた方の、リアクションを楽しむかのような、
 その同乗者の体験話に、ふとドライバーさんの表情でも伺えば
 こりゃぁ〜乗られる度に聞かされとるなぁ〜ってな雰囲気に、
 察しちゃえましたよぉ〜の更なる一笑み。

 ルート上でのしかたのない渋滞を繰り返しつつ、
 自分たちぐらいまでは渡れるかぁ〜といった、
 いざ差し掛かった踏切で、
 満面の笑み浮かべ、腕時計を指差し、

 この曜日のこの時間帯に乗れば、タクシーも踏切には引っかからないという、
 統計から導きだされてたらしい、マジカルアンサーなんてのには、
 タクシー内も更に和むってな具合で、
 三者それぞれの笑みでも浮かべちゃってましたもんねぇ〜。

 そんなこんなの前日17日には、
 中継にニュースに記事にと、かぶりつかさせてもらっちゃってたという、
 プロ野球ドラフト会議も行われ、12球団から74人が指名され、
 育成ドラフトでは、10球団から33人が指名されてたとのこと。

 一昨日16日には、
 2020年東京五輪のマラソンと競歩の開催地に、
 札幌検討といった寝耳に水話なんかも伝えられてましたねぇ〜。
(2019.10.18)

●鉄道の日。
◆体育の日ともいった14日の第2月曜。
・体育の日と呼ばれるのも今回で最後になるという、
 2020年の東京五輪に合わせた祝日の移動改正により、
 開会式前日の7月23日木曜日が(海の日)、
 開会式当日の7月24日金曜日が(体育の日)、
 閉会式翌日の8月10日月曜日が(山の日)、
 体育の日もその2020年からスポーツの日と改称だそうで、
 その翌年となる2021年からは通常に戻るとの事。

 世間じゃぁ〜学校の体育祭シーズンも春とか秋とかで、
 伝えられる2018年度の体力調査によれば、
 高齢者の体力向上が継続され、
 30代40代女性は低下ともいった中、

 耳にしてた、団塊の世代の部活対抗リレーってのによれば、
 水泳部は泳ぐ真似をしながらと言ってあったかで、
 球技系は、それぞれのボールで、それぞれのパスやらキャッチボールをしながら、
 体操系は、側転だったか前転バク転だったか、

 剣道部は素振りをしながら、
 柔道部は畳持参での背負い投げ、
 そして陸上部は、後ろ向きでのむちゃくちゃな周回数といった具合で、

 それぞれのユニホームで、それぞれに異なる周回数で競ってたらしい、
 盛り上がってたらしい話を聞くと、
 「ビデオに残ってればねぇ〜」だったといういつぞや。

 そんなこんなの前日13日には、
 プロ野球クライマックスシリーズのファイナルステージで、
 セ・パ両リーグの第4戦が行なわれ、中継にスポーツニュースにと堪能する、
 巨人とソフトバンクホークスが、日本シリーズ進出を決めれば、

 アジアでの開催は初めてという、ラグビーワールドカップ日本大会も、
 見るも聞くもただただ圧倒されるというかで、
 日本の初の決勝トーナメント進出という、
 史上初となるベスト8入りも伝えられてましたねぇ〜。
(2019.10.14)

●一よぎり。
◆さつまいもの日ともいった13日の日曜日。
・前夜に伊豆半島(静岡県)に上陸し、関東から東北を縦断という、
 記録的な大雨をもたらし、知る時点で1都7県14河川を氾濫させてしまった、
 思わず見入り聞き入る今回の台風19号。

 そんな台風19号をのちに耳にすれば、
 どっちの時のといった事になるんであろう、
 それぞれの人に先ず浮かぶものが異なるとも思う、

 地元の知り合いや、同級の者の、自宅や仕事がらみの台風被害話なんかが、
 暫くは、挨拶がてらの話題になっちゃってた、
 台風下校珍道中で触れてみてたという、平成3年 1991年の台風19号。

 そんな頃の後日話でも再び絡めてみちゃえば、
 停電を満喫しちゃってたある知った方なんかでは、
 わざわざ蝋そくの明かりで読書に耽ってしまい、
 家の人から、蝋そくを無駄に使わないよう突っ込まれちゃってたらしい事だとか、

 当時、修繕にかかわってた者の話なんかでは、空港辺りの大きな看板なんかも、
 多くのものが、ちょっとした気分転換でもしちゃってたそうでして、
 えらく忙しかったらしい事だとか、

 あの風の中、番犬だからだったのかなんなのか、
 子犬の頃から知ってた、当時で言えば、10歳ぐらいにはなってたんでしょうかの、
 そんな1匹の方の犬と、その犬小屋を庭に出したままにしちゃってたらしい、
 知った方のお宅話なんかによれば、

 風が落ち着いた頃だったか、どうだったかは覚えちゃいませんが、
 ふと気付けば、在るべき場所から、犬小屋もろとも、
 その犬の姿が見当たらなくなってしまってたそうでして、

 風もそれなりに落ち着き、暫くした頃だったでしょうか、
 その飼い犬だけが、リードを引きずりながら、真っ黒になって、
 どこからか、やれやれ〜といった感じで、ひょいと帰って来てたそうでして、

 犬小屋はどこだぁ〜と、その飼い主さんたちが家周辺を捜してみれば、
 敷地の塀を超えた、道を挟んだ向かいの田んぼまで、
 お出掛けしちゃってたらしく、
 その後というのは、似たような風が吹く度に、
 かわいそうにも、新たな犬小屋の中で脅えちゃってたそうですもんね。

 そして、別のお宅のもう1匹の方なんかは、
 やはりその犬小屋ごと、庭の中を転がっちゃってたそうでして、
 その後、その犬小屋を頑丈にして動かないようにしてたそうなのですが、

 風が強くなると、雨が降っていようが、立派になったその犬小屋から必ず出て、
 庭木の下で、風雨を全身で味わうようになっちゃってたという光景に、
 「修行僧のごたるねぇ〜」、

 「いやぁ〜ある意味で、悟りの境地やねぇ〜」といった具合で、
 余程こりてたんだろうといった、そのビックリドッグハウス話なんかも、
 耳にしてた台風エピソードとしては、懐かしめちゃってるわけで、

 こちらも、この時の台風で屋根なんかが吹き飛んでしまってたと聞く、
 ようは当時、その同級の者の家の敷地にあったという、
 遊びに行った際なんかには、その時点で1番大きなものをよく頂戴してた、
 何となく印象に残る、鶏小屋解体時の話というわけでして、

 中坊の頃には、鶏ながらに、
 一時期、愛称がポッポになっちゃってたという、
 それから4〜5年経った頃だったでしょうか、

 学校は別だったものの、一時期、通学時間帯が同じになってた頃、
 片足をまともに付けずに電車に乗り込んで来てたもので、
 当然の流れで話しを聞けば、

 新たな地面とご対面すべく、そのポッポ小屋の解体を手伝っていた時に、
 足元の床板らしき所が抜けてしまい、
 何故かトラップ状態になってた、五寸釘みたいな一本の釘で、
 靴底と共に、生け花気分を満喫しちゃってたという、
 それも、立派にコーティングされちゃってた、錆び釘剣山。

 どうやら、釘が刺さったままの板が、その釘先を天井に向け、
 偶然にも程があるといった具合で、抜けた床板らしき所の真下で
 見事にくつろいじゃってたそうでして、

 その時の状況話や病院話、立ってる姿や歩く姿なんかで、
 確りと満腹にさせられちゃってたというか、
 まぁ〜いろんな例えでからかってた事なんかも印象に残る中で、

 この〜懐かしき、台風下校珍道中話での、
 当時住んでた家の、その前の住まいというか、
 今は無き、8年程住んでたアパートというかで、

 住んでいた当時から、それなりに年期が入ってた事は印象にあるも、
 築何年だったかも知りはしない、そのアパートを解体させちゃってたのが、
 今回触れてた台風だったようでして、

 まぁ〜いつ頃耳にしてたかなんては覚えちゃいませんが、
 数年後だったでしょうか、夕暮時に、私用でその辺りに立ち寄った際なんかには、
 そのアパート跡地には一軒家だったというような展開で、

 遊び回って、地主さんから時より怒られてた、周囲の田んぼなんかも、
 時代の流れといった感じで、住宅地へと変わっちゃってたという様子なんかに、
 まぁ〜何と言いましょうかの、時の望郷にでも浸っちゃってましたもんねぇ〜。
(2019.10.13)

●旧体育の日。
◆銭湯の日ともいった10日の木曜日。
・あれは日帰りレジャーというか観戦先での帰路時でしたか、
 時間に追われる中でも、チケットに付いてた入浴施設の割引券が
 なんかもったいないと確り味わってたという、
 「なんかえらいよう見えとるねぇ〜」ってな返答には、なるほど〜ってな、
 お連れさんの浴室内眼鏡姿光景でもよぎらせつつ、

 そんな旅先で、椅子式のジェットバスというのを体験してた際には
 こんな感じじゃぁ〜あの格好はできんねぇ〜といった、
 ふと浮かんでしまってた、ガマ仙人光景ってな具合でして、

 浴室の出入り口からは、全体が見渡せてた状況での事、
 自然と目に飛び込んできたは、不思議な格好で時を過ごす1人のおじいちゃま。
 今後も忘れる事はないであろうその光景の場所とはジェットバス。

 当時の一般的な光景とくれば、
 仰向きで足を伸ばし、リラックスをしている感じだとは思いますが、
 この困ったさんの姿ときてたらば、まぁ〜例えてみるなら、
 ひっくり返っていない、カエルとでもいった所でしょうか。

 ようは、足の裏か腰に当たるような位置にあるといった、
 その側面から出ているジェット水流の噴き出し口に、
 お尻を当てて、有意義な時間を過ごしている感じの困ったさん。

 しかも、本人は壁を見ながら、通路の方にお尻を向けてくれちゃってたという、
 おじいちゃまとジェットバス、そして「あぁ〜あ〜」というような格好とくれば、
 その光景とは正に、ジェットバスウォシュレットを味わうカエルさん。

 時より振り返り見せる表情が、何を意味してたんだかは判りませんが、
 常連さん的な雰囲気を醸し出してるその光景というものが、
 その時間帯の風物詩みたいなものだったのかなんなのか、

 とにもかくにも、脱衣所までは入るつもりだったジェットバスも、
 このガマ仙人というかクラーケンというかの姿を目にしちゃぁ〜、
 さすがに素通りでしたもんねぇ〜。

 そんなこんなで、前日の9日には、
 2019年ノーベル化学賞に、リチュームイオン電池の開発で、
 日本人の化学賞としては8人目という、
 旭化成名誉フェロー 名城大教授 吉野彰氏71歳と、
 ノーベル各賞を通じて最高齢受賞ともなるらしい、
 米テキサス大教授 ジョン グッドイナフ氏97歳、
 米ニューヨーク州立大卓越教授 マイケル スタンリー ウィッティンガム氏、
 77歳らの共同受賞も伝えられれば、

 一昨日8日、一昨昨日7日の両日に行われた、
 囲碁の第44期名人戦で、芝野虎丸八段が10代初ともなる、
 10年ぶりに最年少記録を塗り替えるともいう、19歳11ヶ月での、
 7代タイトルの1つ、名人獲得といったことも伝えられてましたねぇ〜。
(2019.10.10)

●時刻表記念日。
◆世界教師デーともいった5日の土曜日。
・プロ野球のクライマックスシリーズ、ファーストステージも始まり、
 何がどこチャンネルで何時といった事も耳にする、
 季節も感じるスポーツ中継。

 我が国初の時刻表は、観光名所も書かれた、
 ガイドブックのようなものだったとも、
 その初の時刻表が発売されたともいう日。

 時刻表といえば、今夏にも触れてみてた、散歩の毛ってな際の
 年に1度実施されてたようにも思う、遠足と言う名の山登りなわけで、
 特に印象に残っているのが、1年の頃の現地集合ピクニックという、

 それなりの生徒数がいた学校だったもので、全体を2つぐらいに分けての、
 一方は学校集合で、もう一方は現地の最寄り駅集合といった
 いわゆる、異なる目的地への、遠足イベントだったんですよね。

 そんなわけで、
 「遠足の日は、何時ので行くやぁ〜」といった自分の何気ない問いに、
 一緒に通学していた、別のクラスの同級の者とは、
 行き先が別々になってしまってた事というか、

 2ヶ所に分かれてのイベントという事をその時に互いに知り、
 「そっちは学校ね〜・俺たちの方は、何々駅に実費ぜぇ〜」とか言いながら、
 当日を迎える事となってたわけで、

 とにかく、自分の方の集合場所へは、自宅から2パターンのルートがあり、
 両方とも、2つの公共交通機関を使わなくてはならないといった状況での、
 遠回りになる、1つの方のルートだったならば、
 クラスの者とも待ち合わせができたのですが、

 初めての集合場所の駅とはいえども、
 遠足に行くのに、朝からわざわざ遠回りといったルート選択なんてのは、
 当時の自分にはなかったもので、
 結果的には、もう1つの近い方のルートをチョイスし、
 その集合場所の現地へは、1人で向かう事にしてたというわけなんですよね。

 当然の如く、乗り過ごしては話にならんと、
 見慣れぬ景色と、聞き慣れぬ駅名といったものに、
 取りあえずは意識を傾けてたわけなんですが、ふと気付けば、
 ある駅名のアナウンスに、目を覚ましちゃってたというわけでして、

 ただ聞き間違えてたのか、それとも降りなきゃいけない駅なのかが判断できずに、
 乗り継ぎも控えてたもので、慌てて降りてみれば見事に外し、
 時刻表からも集合時間にかなり遅れるといった事を知らされるといった具合で、

 さすがにそれはまずいと、駅前に待機していたタクシーに乗り込み、
 真っ先に尋ねた所要時間にほっとするも、財布の中身を心配されちゃってた、
 行き当たりばったりでの、現地集合話だったわけなんですよね。

 そんな頃からは数年後の研修旅行時、
 新幹線乗車での、それなりの時間となってた、神戸からの帰路だったという、
 集合場所であり、解散場所でもあった博多駅。

 それじゃぁ〜といった中での、乗り慣れてた
 地下鉄西鉄コースのチョイスでしたが、
 下りのJRを利用するのが1人だけと知ったその者の、

 「朝倉街道で降りるなら天拝山でもいいやん」、
 「ねぇ〜いいやん、電車賃をもつけんが」といった、
 1人をいやがるその者に付合わされての、定期券使えぬJR帰路。

 そんなこんなで、先に降りるその者に手でも振り
 やぁ〜れ やぁ〜れと、アナウンスに耳でも傾けてたらば、
 はっ、今なんて言った〜ってな
 目覚めよろしき、車窓の見慣れぬ駅景色。

 目的の駅なのか、次の駅なのか、
 この時間帯に降りそこねるとめんどくさくなる時間帯に、
 よぎるは、高校時代の散歩の毛ってな登山での、
 現地集合手前駅勘違い下車なわけで、

 次が天拝山っていったんじゃないかとキョロキョロしてると、
 扉が閉まり、「次は原田〜」、「あぁぁ〜天拝だったぁ〜」。

 動き出す車窓に天井を仰ぎ、視界を塞ぐ壁が無くなると、
 あぁ知ってる景色だぁ〜ってな具合で、区画整備前の原田駅へ。

 取り合えず降りて上りを確認してみりゃぁ、バスが間に合わず、
 この距離でのタクシー代はちょっときついなぁ〜、
 迎えを頼むしかないかと、公衆電話から家に電話すれば、

 そんな事言ってたなぁ〜ってな、お出かけ直前状況に、
 愚痴られながらの待ちぼうけ。

 旅行スタイルでの、なかなかの待ち時間に
 駅員さんたちからは、怪しまれてチョロ付かれるは、

 忙しい中、土地感に乏しかった駅の夜という事も加勢しての
 迷った末でのお迎えだったそうで、
 車内では、当然といった小言を聞かされ、ふっとぶ疲れやら何やらの、
 帰宅だったり、土産の品だったりしてたんですよねぇ〜。

 そして、そんな頃からも10年程といった歓送迎会での帰路でしたか、
 同じ方向へ帰る者3人と最終電車で帰るべく、
 西鉄の福岡駅へと急いでいた時の事なんです。

 普通に歩いていては間に合わないといった時間になってしまっていたもので
 それぞれが時計でも気にしながら、小走りで駅へと急いでいたものの、
 このペースだと、切符を買っていたら最終には間に合わないと感じたもので、
 取りあえず、一番下っ端だった自分が走るかと、
 「先に3人分の切符を買って、改札の前の一番端で待っておきます」と、
 新天町の中を爆走し、正面の改札口の方を向いて、一番右の改札機の前で
 まだか・まだかと、最終を伝えるアナウンスでも聞きながら、
 その2人を待っていたというわけなんです。

 ところが、予想以上に現れない上に、
 反対サイドの1番乗り場にいた最終の普通電車が、
 今にも出てしまうというようなアナウンスに変わってしまったものですから、
 「ちょっとでいいから待ってくれんですか」と、そばにいた駅員さんに懇願し
 1人の方の携帯電話にかけてみたというわけなんです。

 「どこですか今〜、もう出ちゃいますよ〜」。
 「とにかく乗れ」。「いやいやいや」。
 「今ちょっとだけ待ってもらってるんですから、どの辺ですか今」。
 「いいからはよ乗れ〜」。・「いやぁ〜自分だけ乗るわけにはいかんでしょ〜」。
 「2人でタクシーだったら、えらいかかりますよ〜」。
 「それはいいから、とにかく乗れ〜、 はよ乗れ〜」。
 「それじゃぁ〜もう乗りますよ〜、じゃぁ〜お疲れさんでした〜」。

 こんな感じで電話を切ると、そばにいた駅員さんに、会釈しながら一言かけて
 最終電車の最後尾の車両に飛び乗ったというわけなんです
 するとビックリ!、なんと目の前には、お2人さんが。

 車両内での話によれば、自分とは反対側の券売機で切符を買ってたそうでして、
 自分の姿がなかったもので、とにかく慌てて飛び乗った、とか言ってましたが、
 とにもかくにも、それぞれが最終電車に間に合ってよかった〜というような
 なんて事のない体験話というわけでして、

 そんな頃の翌年、あれは20代頃でしたか、
 新幹線を利用する1人の者を博多駅まで送るべく、
 歩いてもいける距離と数人で酔い覚ましがてら歩いてたらば、
 以前に何回か乗り越してしまい、関門海峡を渡っちゃってたらしい、
 パンチ君エピソードで一笑い。

 そんな当人から、「起きてるか」コールでも頼まれちゃってたもんで、
 「どうする〜」ってな冗談も飛び交う、
 こちらの方もいがいと時計を気にするはめになっちゃってた、
 いつぞやの「起きとるかぁ〜コール」光景ってのでも、
 ふとよぎらせちゃってた一連想といったところでしょうかねぇ〜。
(2019.10.05)

●10月ですねぇ〜。
◆日本茶の日ともいった神無月の初日の火曜日。
・消費税も8パーセントから10パーセントへと、
 平成元年 1989年4月の 3パーセントに始まる、
 平成9年 1997年4月 5パーセント、
 平成26年 2014年4月 8パーセント、
 令和元年 2019年10月 10パーセントといった具合で、
 何気に、釣り銭話や広告にらめっこなんてのも懐かしめる、
 あっぷっぴゅ。

 ってな感じで、
 いつぞやに幾度か触れちゃってる、
 バブリーサウンズ 未確認気泡物体や、
 野鳥の糞を肩に落とされた上に、勢い余って頬に跳ねられちゃってたらしい、
 思わずクスッとさせられる学生の頃の釣り銭話でも触りつつ、

 釣り銭話系でいうならばの、
 以前の住まいで唯一過ごしてみてたという、
 黒猫のチャチャ絡みで懐かしんでみちゃえば、

 家の者の「おぉ〜チャチャ、帰って来たね、お帰り〜どこで遊んできたねぇ〜」。
 チャチャの「ただいまぁ〜」と言った挨拶代わりの、すりすりスキンシップが、
 居間のドアの近くに座っていた者から、いつもの調子で始まっていた時の事。

 普段通りといった感じでそれぞれが食事を取りつつ、
 チャチャの(ただいまぁ〜マーキング)の順番待ちでも何気なくしていると、
 その(すりすりスキンシップ)1番手の、ドアの近くに座っていた者が、
 「あぁー〜!・尻尾に・ウンチ付けて帰ってきとる〜」と一言。

 当然といった感じで、その途端に、流れ的に3番手だった自分と、
 隣にいた2番手だった者の背筋が、反射的にしゃきっと伸びて、
 チャチャの現在位置でも確認しながらの、「えぇ〜!」とか「まじでぇ〜!」。

 更にはそのチャチャが、いつもの感じで自分たちに、
 すりすりニャンニャンマーキングをしようと寄ってきてたものですから、
 「ちょっと待て〜」、「うわぁ〜寄るなぁ〜」といった感じで慌てて立ち上がり、
 自分たちの「ティッシュ、ティッシュ」の声に、
 ドアの近くに座っていた第1発見者が、そばにあったそのティッシュを手に取り、
 「ちょっとまってんね〜、ほら〜チャチャー」と追っかけてたという。

 まぁ〜言うまでもなく最終的な仕上げとしては、
 ティッシュだったのか、チャチャ専用タオルだったのか、
 とにかく、何かしらをウエッティーにして、これでもかぁ〜っといった感じで、
 その尻尾の先からお尻までを、ドアの近くに座っていたその者から、
 確りと拭かれちゃってましたもんね。

 とにもかくにも、偶然付いちゃっていたのか、興味本位で触ってみたのか、
 何かしらを試したがために尻尾の先に引っ付けちゃっていたのかは判りませんが、
 その後のチャチャからの、すりすりニャンニャンマーキングなんてものは、
 当然といった後日談として、
 「今日は引っ付けとらんやろうねぇ〜」といった具合で暫くの間、
 家の者それぞれから見事に警戒される事にもなっちゃってましたっけね。

 そんなこんなで、
 前月となる前日の30日には、
 1968年に電電公社によって始められ、
 国内では唯一、東京テレメッセージが手がけてあった、
 ポケットベルが半世紀の歴史に幕との事でしたねぇ〜。
(2019.10.01)

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